一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

朝食まで

マロンデニッシュ、紫芋ホイップクリーム、アイス珈琲。

 急に思い立って、池袋まで。数日前に山手線に乗換えて日暮里まで赴いたばかりだ。週に二度も鉄道を使うなんて、さてなん年ぶりだろうか。

 私鉄改札口から百貨店の地下一階名店街へと滑りこむ。小さい鏡の前に立って、体温を自動検査してもらい、手をアルコール消毒。いつまで続くか判らぬが、これも新風俗。後世のために書き残しておこう。
 常づね疑問だった。勝手知ったる両口屋是清や浅草今半のブースへ向う入口脇に、長らく酒類販売コーナーがあった。先ごろから地方の名産品や珍味珍食品の特設コーナーに様変りしている。さて、酒はどこへ行った?
 百貨店の店員さんの姿が見当らない。酒売場の移転先を、テナント店の販売員さんに訊ねるのも気が引ける。待て待て、私のような能天気が天下に私一人とは考えられない。百貨店サイドも先刻予想して、どこかになにかの手掛りを残してくださっているにちがいない。つまりなんらかのインフォメーションがあるはずだ。

 あった! 地下二階への下り階段口の天井近くに、これを視よとばかりに「酒蔵」という電飾看板が。どうやらこれだな。
 酒類売場はさらに下った地下二階に移転。装いも新たに、総面積ははるかに広くなっていた。形態も一新され、いく軒かの酒屋がテナントとしてブースを連ね、勘定場は一か所でなく各店ごとにお支払いする仕組みらしい。自主仕入れ・自主販売を放棄して、スペースブローカーに徹する方針となったのだな。

 初心者の瞠目。各店競いあってお洒落な空間造りだ。陳列の工夫、ちょっとした照明効果、眼を惹く品揃えなどなど。眼の利くかたがご覧になれば、品揃えの差異化などにも気が配られてあるのだろう。
 ビールなどない。日本酒も大手有名酒造のだれもが知る銘柄など見当らない。スーパーで買えるような商品は、こゝにはないのだ。地方酒造の地酒は一画に少々。それも大吟醸だの原酒だの樽出しだのと、ものものしい商品ばかりだ。焼酎も然り。
 売場の大半は、ワインの見本市と称するがごとし。重そうな扉を押して入る、低温ワイン室もある。日本人はいつから、それほどワイン好きになったのだろうか。ワイン音痴の私はいまだに、パーティーの最初に出される冷えた白ワインが一番美味いと感じている。それと山梨県在住の友人が贈ってくれる、ラベルが貼ってないガラス瓶のワインが。きっと味わい深いワインなど、この齢になるまで口にしたことがないんだろうな。わざわざ求めて、今からワイン道に入門しようとは思っていない。
 そうか、酒売場はこゝへ移ったのか。今度ゆっくり来てみよう。せっかく来た記念とばかりに、梅酒をひと瓶、買ってみた。果実酒類についても、全国各県産のさまざまな種類が取り揃えられてある。ひととおり試してゆくのにも、骨が折れそうだ。

 外へ出てみると、池袋東口方向を周回する可愛らしいコミュニティー・バスが客待ちしていた。自動車であれ鉄道であれ、以前は小ぶりな車輛を「マッチ箱のような」と形容したもんだったが、マッチ箱が日常必需品でもなくなりつゝある現在、形容は陳腐化しているのだろうか。これも時代風俗の一端だ。書いておこう。
 これに乗ると、グルッと廻ってこゝへ還って来られるのだろうか。それともどこか終点で降ろされてしまうのだろうか。今度やってみよう。おかげで池袋へ出てくる理由がひとつできた。

 振返ると、百貨店の屋上から三階あたりまで、長い長い垂幕がいく本か吊り提げられていて、眼玉企画や新開設の案内が告知されてある。中の一本に、酒蔵〈SAKAGURA〉と、でかでかと書かれてある。なぁんだ、こゝにも出ていたじゃないか。
 ローマ字添えは外国人さん向けだろうか。漢字を読めない日本人向けだろうか。それともコピーライターのコンプレックスだろうか。

 池袋まで出てきたときのお約束となりつゝある、ロータリーの中洲に設けられた喫煙所で一服。かような場所では、まだまだ紙巻派が多い。加熱式愛用者は五人に一人といったところか。喫煙者全体のなかでは、もっと比率が高いのかもしれない。
 これまた定番ルートのタカセ珈琲サロンにて、軽い朝食というか曖昧な間食というか、つまり本日の第一食。栗デニッシュと紫芋パン。
 江戸時代のある時期までは、庶民は今の私と同じく一日二食だった。かような用足しを「朝めし前」と云ったのだな、きっと。