一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

天下茶屋

天下茶屋」前より。(撮影 丹沢和仁)

 河口湖と、向う岸や手前の街まちと、左右から下る稜線とが織りなす逆さ富士が見えるポイントだそうだ。なるほど……。

 一別以来の挨拶もそこそこに、まずはまずはとご夫妻の愛車に招じ入れられ、いの一番に向ったのは「天下茶屋」だった。ご存じでしょう? と振られて迂闊にも、咄嗟には思い出せなかった。井伏鱒二太宰治の名が出て初めて、あゝそれかとうっすら思い当った。しかしこゝからはかなり遠かろう。まさかそんな所までご案内いたゞけるとは、予想外だった。徒歩や公共交通機関しか知らぬ身と、愛車移動のかたがたとでは、とかく空間概念が異なる。
 案の定、アルペンの回転スキーさながらに、きわどく曲りくねる急坂を延々と登り続けた。独特な運転技術を要するのだろう。観光客とおぼしき県外ナンバーの車と擦違うさいに丹沢さんはいく度も、「チッ、下手糞!」と舌打ちした。

 最優先でお奨めくださるだけあって、「天下茶屋」からの眺めには眼を瞠った。好天にも恵まれた。地元在住者でさえ、これほどの眺めはめったに眼にしないほどという。ともすると江戸中期ごろ、越後の百姓だった五代か六代前の先祖が、村内講中をとりまとめて富士霊場登山でもして、すこぶる良い徳を積んだものだろうか。
 近くに絵入りの案内板が立っていて、古代また近世の噴火や災害によって地形や湖がいかに変容し、街がいかように形成されてきたかが説明されてあった。

 一階はお休み処と土産売場。かつて小座敷が四間五間あったろう二階は、この店をこよなく愛してたびたび訪れた文人らを偲ぶ展示施設となっている。どうやら眼玉は井伏鱒二太宰治のようだ。たしかに、画になるお二人だ。
 壁面の写真を眺めて歩く。井伏鱒二に案内されて、あるいは井伏を慕って、いく人もの文人がこの座敷からの富士と河口湖の眺望とを愛でに来店したらしい。武田泰淳が同道者に向けて無邪気な笑顔を見せている。高見順が少々澄まして、恰好つけて独り立っている。武田も高見も、いかにもさような人だったろうと思われ、笑いだしたくなった。
 一枚の写真の前で、息を呑んだ。いく人かが井伏御大を囲んで、寛いでいる。中央に井伏。画面右手に、トリミングされてわずかに横顔の前半分と胸前半分と、袖口あたりだけが写った、初老の男が座っている。「井伏先生とその他の人びと」という意図の写真だ。外村繁じゃないかな。で、私の足は停まってしまったのである。

福田恆存(1912 - 94)

 数日前に、野間宏について思い出したはいゝものゝ、尽せなかった件がある。彼の全体志向に関わることだ。
 戦後派作家たちとひと括りにしてみたところで、主題も技法も一人ひとり異なる。たゞ共通するのは、おのが若き日を軍国色に染められてしまった者たちの、報復と反省と究明の意思、そして遅ればせながらの青春奪還に向けた燃えるような想いである。いきおい作品構想は巨きくなった。志向は徹底的たるを目指された。とかく大声にもなりがちだった。
 野間宏は徹底して全体表現を志向したし、中村真一郎にもそれがあった。埴谷雄高は徹底して本質開示を志向したし、椎名麟三にもそれがあった。政治であれ社会問題であれ、宗教であれ土俗習俗であれ、根柢にまで遡って徹底究明を目指す志という点が、戦後文学の共通特色だった。

 世界また人類に対して芸術はいかにあるべきか。飢えた子どもの前で文学になにができるか。戦争に抗して文学者の役割はなにか。大声で問われた。さように問うことが良心的であり、人として正しかるべき道であると信じられた。時代の熱である。
 が、意表を衝く論客が現れた。反戦したければ小説など書かずにパルチザンに身を投じればよい。飢えた子どもを救いたければ小説など書かずにボランティアに出るほかない。芸術に政治的実効性を想定するなど笑止の沙汰。結果として有効性をもつことはあっても、それを目途として文学するなどお門違いと、冷静に切り分けた批評家が、ほかならぬ戦後派批評の中枢から出てきた。福田恆存である。
 その後の文学史展開を今日から視れば、結果として福田提言の予言性は見事だった。

 太宰治は芸風に派手さがあり、声も大きめのひとだ。武田泰淳もまさに戦後派文学の一員らしく芸風も巨きく、発声法は口ごもりがちだが作品の声は大きい。高見順はまさしく、つねに大向うを念頭に置いて声の調節を怠らなかった人だ。
 私にとっては、武田・高見ともに敬してやまぬ、好きな作家だ。が、そこにトリミングで半分落された外村繁を置くとなると、噺は微妙となる。外村の声は大きくない。そして井伏鱒二も、大声とは申しがたい。
 むろん井伏も外村も、生涯書き貫いた作家であるからには、徹底していたのだ。が、戦後派のごとく大声での主題追求において徹底していたわけではなかった。
 ――井伏さん、太宰さんばかりじゃありません。高見順さんもお見えになりました。武田泰淳さんもお見えになりました。
 観光客には、いや一般のかたがたには、いや世の中の大半のかたがたにはそれで十分なのだろう。が私にとっては、トリミングで半切れになっていようとも、外村繁がそこに写っていることが、ことのほか大切だ。
 天下茶屋の二階で足が停まってしまったのは、さような問題ゆえだった。