一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

名残の富士

富士山駅ホームから。

 一生涯ぶん見せてもらった。これが名残の富士。

 旧鎌倉往還だという国道沿いのバス停までお連れいたゞき、ご丁寧に富士山駅方面へのバス時刻表までお調べいたゞいて、ご夫妻とはお別れした。国道を挟んで、「ふじさんミュージアム」と「富士山レーダードーム館」が向いあっている。そこで最後の時を独り気ままに過してから、帰途に就こうとの算段だ。
 時おり、パリパリパリッと乾いた音が聞えてくる。近くにクレー射撃場があるという。陸上自衛隊駐屯地も遠くないそうだ。

 まずミュージアムを軽く見物して、レーダードーム館へ回ろうと心づもりしていた。観光地の新名所である瀟洒な近代建築のミュージアムというものは、ごく概説的な立体観光パンフレットと相場が決っている。そこへゆくとドーム館のほうは、かつて富士山頂にあって、実際に気象予報や台風予測に革命的な進歩をもたらしてくれたドームをこの地に移設したものだ。国道沿いに立っても、鬱蒼たる樹林の上にプラネタリウムさながらのドームが頭を出している。
 このレーダードームが荒天強風の山頂に設置されるについては、多くの技術者たちや日本一のヘリ・パイロットたちによる信じがたいほどの努力と悲願とがあったとは、NHK の「プロジェクトX 」という番組で観たことがある。技術者のなかには、後年小説家として名を成す新田次郎さんの若き日の姿もあった。今ドーム館の敷地内には、新田次郎の文学碑も立っているそうである。どうやらそこが、旅のフィナーレかと見えた。

 ところがである。ミュージアムで思わぬ長時間を過すことになってしまった。面白かったのだ。観光地や登山としての富士ではなく、霊場富士の歴史と、麓の登山口吉田町の伝統について、さらには古い時代の噴火や災害について、行届いた啓蒙がなされていた。ビデオ資料も多く、よくぞかようなフィルムが残っていたものと舌を巻く動画も観ることができる。
 戦前期の霊山詣での人びとのいで立ちもあった。大男のひと抱えもある巨大松明が火事かと見紛う炎を高く噴き揚げ、あたりに激しく火の粉を舞い踊らせる、火祭りの実写もあった。古くから絹織物の街であった当地の、紡織の機械設備や技術や製品の映像もあった。糸と染め色の実物まで展示されていた。各部屋に観たいボタンをどうぞと表示されてあるので、私はそれぞれの展示室で次つぎと、館内ほゞすべてのボタンを押したのではなかったろうか。
 屋上の休憩所からの眺めも好かった。前方には富士を背景に富士山ドーム。かえりみすれば、連山のなかほどに茅の刈り跡が望まれた。要するに、昨日からつい先刻まで、車に揺られながら、またワインをご馳走になりながら、ご夫妻から順不同に教えていたゞいたあれこれが、総復習として館内に展示されてある観があった。

1号車1番D。

 すっかり満腹した気分となり、思わぬ時間も経過したので、ドーム館は遠慮してバス停を目指した。
 特急の切符を抑えてから、駅周辺をぶらつく。駅ビル内には当然ながら、土産品売場が賑にぎしく並んでいる。忍野八海では、うどん屋の開店時刻から逆算して、土産品には眼もくれなかったから、初めてあれこれ眺め歩いた。むろん買物はしなかった。
 早めに改札を通り、ホームに立つ。最後に名残の富士をワンカット撮った。

 改めて座席番号を確かめる。さっき出札口では、こんなことがあった。
 ―― 新宿まで、一枚ありますか、乗車券付きで。
 ―― 窓側ですか? 通路側でもよろしいんですか?
 ―― どちらでも。(私はこだわるタチではない。出張のときなど、トイレに立ったり車内販売で買物したりの便宜で、むしろ通路側を希望したいくらいだった。)
 ――(機械から出てきた切符を視て)あゝ、窓側があったわ。
 一号車一番の D 席。三輛編成の最前車輛、最前列。納戸の最奥に押込められたような席だったが、これが窓側最後の一枚だったのかもしれない。
 最後の最後まで、ツイてるとしか申しようのない二日間だった。帰りは大月駅で、今度は後ろに九輛が連結されるらしい。 

 私の富士詣では了った。夢から醒めたようなものだ。
 車窓からの風景が都会めいてくるにつれて、記憶がよみがえる。出雲大社の裏山から、山火事かと訝るほどにもうもうと朝霧が立つのを眼にして、八雲立つとはよく云ったものと思った。高野山でも伊勢でも、その地ならではの風景が記憶された。
 津軽富士たる岩木山は数時間眺めた。太宰治生家を観に津軽鉄道に揺られたとき、ひと列車やり過して駅のホームにいた。軌道内に降りてみたりもした。出羽富士たる鳥海山をこの眼に観たことはない。利尻富士たる利尻岳までは、とうてい行く機会はやって来ないだろう。
 われいまだ岩清水を見ず。

 帰宅して台所をする気分には、なれそうもない。出張族だった時分は、無事帰還をせめて自分だけでも祝ってやりたくて、うなぎ屋へ足が向いたもんだったが、齢のせいかさような気分にもなれない。
 つまりはさっさと我が町へと戻り、いつもの店の、いつものカウンターで独りですけど、なにか?