一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

混ざってる

 
 そもそも舞茸ご飯って、いかなるものなのだろうか。

 数日前に、即席便利食材のお世話になって、舞茸ご飯なるものを炊いた。ほんのり淡泊な炊込みご飯の香が立って、私の口には合った。しかしそこで、大疑問が発生した。なんと迂闊なことに、ほんらい舞茸ご飯とはいかなる味のものか、私は知らない。今回と同じ便利食材にていく度か試したほかに憶えがない。いくらなんでもどこかで、過去のいつの日かに口にしたことがあったのだろうが、記憶にない。竹の子ご飯、豆ご飯、松茸ご飯、味も香りも想い起せる。舞茸ご飯……はて?

 ラッキョウと冷凍餃子お徳用袋を買おうと、サミットストアに入った。いずれもこゝで買うことにしている。と、ラッキョウの向い側は弁当や調理済み主菜のコーナーだ。めったに買うことはないが、いつも豪華なラインナップで眼の保養になり、台所意欲が掻き立てられることすらある。と、そこでだ。「舞茸としめじご飯弁当」なるものを見つけてしまい、眼が釘づけにされてしまった。
 予定外の衝動買いは如何か。売場をひと廻りしてみたが、また戻って立停まり、しばらく考えた。つまりは、買ってしまった。

 盛合せのおかずも豪勢だ。ひと口では食べ切れぬ大きさのしめじ天ぷらが中央で幅を利かせ、レタスが一枚敷いてある。浅めに炙った鮭の腹身と大学芋がひと切れ、黒胡麻が振ってある。野菜煮は人参、かぼちゃ、椎茸、フキ。それにハンバーグ風のタレをからめたつくね団子が一個、白胡麻が振ってある。
 いやテーマはそこではない。ご飯だ。とんでもないことを発見してしまった。舞茸としめじを甘辛く煮たものが載ってはいるが、飯に混ざってはいない。舞茸としめじの濃厚煮汁で炊きあげたのだろう、色も味も濃い艶の出た炊込みご飯に、ごく薄くスライスされたレンコンが炊込まれてあるだけで、舞茸もしめじも飯中には見当らない。
 なるほどさようなものであるか。たしかに出汁として味を出すしめじの力は驚異的だから、この手は有効だ。つまり舞茸が名を形成し、出汁はむしろしめじが主役という点が、商品の勘所らしい。

 さて味だが。すこぶる美味い。予想したとおり、味が濃い。塩気も強い。自分ではけっしてしない味付けだ。おそらく冷めた状態で食べても、美味いように拵えてあるのだろう。冷めても美味いためには、味がよく混ざっていなければならぬし、どうしても濃いめになる。そこには私なんぞが想像の及ばぬ、専門家の工夫があるのだろう。私は電子レンジで温めて食べるが。
 そこで思う。スーパーやコンビニの弁当を、出先や職場で冷めた状態でめしあがるかたと、ご自宅でさえそのまゝのかたと、温めるかたと、どれほどの割合なのだろうか。アンケートのスレッドを立てて、皆さんのご意見を伺ってみたいものだ。いや、私ごときが考えるようなことは、すでに多くのかたがなさっているに相違なく、検索すれば結果は判然とするのだろう。

 だが、とさらに考える。それは情報に過ぎない。自分で実行すれば知識になる。旧弊人種といたしましては、情報と知識は別物だ。さらにその知識だって、手間暇かけて体得したものと同じであるはずなどありえない。情報、知識、体得の三段階だ。

 帰りに川口青果店に寄った。玉ねぎが切れたからだが、思い立ってかぼちゃにも手が伸びた。暑い季節は、煮物炊き物の足がどうしても速いので控えていたが、涼しくなってきてもなんとなく、再開せぬまゝでいた。
 ―― はい、いつものカボチャね。
 オカミサンの頭には、年がら年中かぼちゃを食っているジジイとインプットされてあるらしい。おいおい、二か月ぶりだぜとの訂正は、あえてしなかった。