一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

衣食足りて

堀田善衞(1918 - 98)
『日本文学全集84 埴谷雄高・堀田善衞集』(集英社、1968)口絵

 思い出してはまた、読み直したい作家の一人だ。

 1ドル=360円の固定相場だったと申しあげると、ナニソレ? とお若いかたから訊き返される。日本が変動相場制に移行したのは、1970年代に入ってからである。
 「アップダウンクイズ」という、視聴者参加型のクイズ番組があった。60年代から80年代まで続いた、人気長寿番組だった。開始を告げる小池清アナウンサーからは、毎週「さぁ、十問正解して、夢のハワイへ行きましよう」とコールされた。

 世はまさに高度経済成長期のまっただなか。長寿番組が続くうちに、視聴者の経済事情も目覚しく変化していった。変動相場制へ移行して、米ドルと円との交換率も有利になった。国の外貨保有も増え、民間人がドル換金できるようにもなっていた。民間人が海外旅行することが、夢でもなくなってきた。
 いつごろからだったか、小池アナウンサーのコールも変った。「十問正解して、さぁハワイへ行きましょう」。ハワイの枕詞から「夢の」が消えたのである。小池さんお一人の工夫によるばかりではない。世の中の空気が、変ってきていた。

 東京で式を挙げた新婚カップル。新婚旅行といえば、まず熱海だった。そして箱根、日光。羨ましがられる遠方旅行となれば、宮崎県は日南海岸。鬼の洗濯板で二人手をつないで記念写真を撮った。新婚旅行でハワイへ、なんぞと、いつ頃から云いだしたもんだったろうか。
 中尾ミエさんが、トーク番組で回想しておられた。「可愛いベイビー」で大当りを取って一躍日本一のアイドル歌手となられた中尾さんは、日系人の多いハワイへ招かれてのライブも経験されたという。ステージでのオープニング・トーク
 ―― アイム ミエ ナカオ。フロム トウキョウ。バット ノット ノウキョウ。
 それだけで会場は大爆笑に包まれたという。ツカミは OK というやつだ。

 日本人の大半が海外旅行など思い浮べることすらなかった時代に、ビジネスや国家要請での渡航以外で目立ったのは、視察と称しての農協(今の JA )の団体旅行だった。あまりに数多かったので、なかには旅行マナーにおける認識不足を露呈する場面も数かず視られた。
 国際線乗務員に「おいネエチャン」と話し掛けたり、夜行の普通列車よろしく靴もズボンも脱いでステテコ姿で寛ぐ輩があったりした。ホテルでも買物先でも、恥を晒してみずからは気づかぬ輩もあった。海外の観光地でノウキョウは、好ましくない意味で有名だったのである。中尾ミエさんの自虐的ジョークが、なぜ受けたかは、今からは理解が及ぶまい。

『インドで考えたこと』(岩波書店、1957)

 日本文芸家協会の推薦によりアジア作家会議に出席すべく、堀田善衞がインドへと向う機内で乗合せた人物も忘れられない。
 部厚い札束を胴巻きに仕込んでデップリした、眉の濃いギョロ眼の男で、綿と麻を買付けにゆくという。バンコク仕入れた怪しげはウイスキーをコップになみなみと注ぎふるまってくれたが、そのウイスキーたるや喉をガリガリ引掻くような飲物だった。白人たちがほとんどの機内で、ネクタイを引きちぎらむばかりにはずし、あわやワイシャツやズボンを脱いでステテコ姿となりかけたのを、堀田さんとやはり同乗していた新聞社特派員とでようやく防いだ。男はなおも、軍艦行進曲を大声で唄い出そうとした。
 この男の無知を嗤ったり、人柄をあげつらったりする気は、私にはない。こういう日本人は、べつに珍しくなかった。さような時代だった。

 在日ユーチューバーさんたちのチャンネルにおいて、日本は治安の好い国、街が清潔な国と指摘され、日本人は礼儀正しく、親切な人びとなどという感想を、次から次に眼にする。好印象を率直にありがたいと思い、誇らしく感じる。たしかに先輩たちの美徳の集積で、この国の一部にはさような長所が形成されたことは嬉しい。
 しかしその動画に対して日本人視聴者たちによる、「そうでしょうとも、あなたもせいぜい頑張って」みたいな上から視線のコメントが陸続として寄せられているのを観ると、吐き気を催すほど恥かしくなる。
 ご油断召されるな。この国民は、図に乗るといかように化けるか、判ったもんじゃありませんよ、幸い今は腹が減っていないので、さほど馬脚を現してはおりませんがねと、ご忠告申しあげたくなってしまう。

 ところでこの岩波新書『インドで考えたこと』は、かつて読書感想文の課題図書として定連だったが、今はどうなのだろうか。現在の日本人があまり思い出したくもない、ある時期の実情が率直に記されてあるので、フタをされているのだろうか。
 グローバルだの世界だのと云ってしまうまえに、まずアジアとはなんだったかを考える視点が不可欠で、今なお力が失せていない名著だと、私は思っている。また、梅棹忠夫の『文明の生態史観』と併せ読むことで、いっそう力となる書物と思っている。