一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

マスコット


 ハロウィンだってさ。さようなものが私の身近にもあるなんて、驚き桃の木だ。

 昨日は月に一度のユーチューブ収録日。ディレクター氏が機材一式をトランクに詰めて、ご来訪くださる。一回ニ十分ていどの野放図な喋りから、無駄なところや差障りあるところ、発音の汚いところなどをカット編集して、十数分の音源にまとめてくださる。それを一日に四本録りする。
 単位時間あたりのギャラが絡んだ仕事だったなら、二時間あまりで済ませるところだ。ところが当方は老後の手すさび。対するディレクター氏は、日ごろから視上げた文学読者で、この機会に昔噺を聴き出しておこうとの魂胆がおありだから、当ブログへのご批評に始まり、話題はあっちへ飛びこっちへ還り、雑談放談の山また山となる。

 雑談に区切りをつけて、ようやく収録に入ったところで、隣接するコインパーキンへ大型トラックだの冷蔵車だのが入庫してきて、エンジン音やウィンカー音が鳴りやまず、しばし中断となる。次の収録では、消防車が拙宅前を通過したりして、やはり中断を余儀なくされる。拙宅の西方一キロに消防署があって、出動する車輛はいずれの幹線道路を目指すにも、まずは拙宅前の一方通行路から出て行くのだ。
 馴れっこになってすっかり無頓着だったが、消防車や救急車の出動回数はこんなにも多かったかと、収録するようになってから認識を新たにした。
 そんなこんなで毎回のように、ディレクター氏はスマホを取出して終電乗継ぎ時刻をチェックする按配となる。

 昨日はちょいと事情が違った。収録を手早く済ませて、というかやゝまともに進行させて、「蔡や」へ出かけようとの思惑があった。
 来週は大学祭だ。昨春まで勤務していた大学でのサークル活動「古本屋研究会」は、古書店を出店する。年三日間の営業である。かつて私はそのサークルの顧問を拝命していたが、今は平の一会員だ。そのサークルが最終日の打上げ会場を蔡やさんに決めたとの連絡が、現幹部から過日入った。そもそもこの店をこのサークルに紹介した身としては、事前にご挨拶に赴かねばと思いつゝも、果せずにいた。なにせ疫病騒ぎ後の本格的営業再開までの過渡期措置として、曜日を限定しての開店という変則営業中のため、どうにも都合が合わずにいたのだった。で、蔡やへはだいぶ以前にご一緒したこともあるディレクター氏をお誘いした。

 数週間ぶりに入店してみれば、いつもの祭や風景だ。マスコット人形が尻にコーンを被っている。もう一人のマスコットである、チイママの若は、また背丈が伸びた。青鬼となって、籠に山盛りの菓子を突きつけてきた。「ハッピーハロウィン」だという。小袋入りのバターパイを摘まんだら、もっと取れと迫ってくるので、銀紙にくるまったフィンガーチョコを取った。
 鹿児島出身の建築プランナーが、隅っこでもの静かにグビリグビリとやっている。
 反対隅では庭師の親方が陽気な大声を張りあげている。数か月前に、足場の悪い現場で梯子が倒れる事故が起き、ひどく腰を傷めた。一時は再起不能かと心配されたが、もとがとてつもなく丈夫な人だから治療とリハビリの効果目覚しく、騙しだましながら現場へ出られるようになったという。「猿も木から落ちる、庭師も梯子から落ちる」そんな冷かしも一時は申しかねたが、今なら云える。
 中ほどに大病院勤務の内科ドクターがいる。髭が半分白くなったと嘆き、頭髪養毛剤の効果がいかに抜群であるかを、自分の頭頂部を人前に差出して力説している。
 金原亭馬遊師匠が大酩酊の千鳥足で到着。私の姿を見つけて、今夜こそどうでも問いたゞしたい件があると、私の前へ席を移動してきた。過日往来で師匠の姿を視掛け、声をお掛けしたが、その声が齢不相応に元気だったという。かつては脳梗塞の後遺症に脊椎管狭窄症を併発して、ステッキを手放せなかった私が、今では自力で歩き元気な声。解せぬとおっしゃる。「コレでしょう?」と私の顔の前で小指を立てて見せた。俺をなん歳だと思っているんだ。「おかげさまで」と応えておいた。

 終電も近い。ディレクター氏を駅までお見送りせねば。青鬼もお役目終了。歯磨き済んだら手も顔も洗って、おネムの準備だ。