一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

街の灯

午前の陽光。

 柔かい陽射しのなかに、園児たちの細く高い声が交錯する。

 どっち方向へでもむやみに駆け出したい子がいる。保母さんから見つけられたくって、ベンチの裏に身を潜める子がいる。滑り台の梯子を昇ろうとして、またブランコに乗ろうとして、まだ早いと保母さんから止められる子がいる。植栽に踏み入って虫だか花だかに接近しようとする子がいる。保母さんの周りに集まって、やたらと手をつなぎたがる子がいる。

 私は並木幼稚園の第一回卒園生だ。年長のユリ組で、白いバッジを胸に付けていた。年中はキク組で黄色いバッジ、年少はサクラ組で桃色のバッジだった。
 一番背丈が高い園児は山口富夫君で、めったにはしゃぐことのない、おとなしい子だった。顔も手足も白く、髪は茶色だった。二番目に高かったのが、たぶん私だ。吉川君も、その次くらいに高かった。吉川君は暴れん坊で腕力も強く、なにごとにも積極的な性格で、イジメッコだった。
 ある時、山口富夫君が大怪我をした。吉川君が放ったシンバルが当って、額だったかこめかみだったかがザックリ切れて、山口君は血だらけになった。当った瞬間を私は視ていない。直前のいきさつも知らなかった。思わぬ大量な血に、吉川君は驚いたように立ちん坊になっていた。山口君はたゞ俯いて、泣いていた。

 山口君の住いは園からかなり離れた所にあって、狭いながらもよく片づいた部屋に、お祖母ちゃんと二人で住んでいた。
 日ごろから吉川君は、山口君をなにかと虐めていた。私は虐められなかった。たぶん吉川君より背丈が高かったからだ。でももっと背の高い山口君は虐められた。理由は解らなかった。ガキ大将の吉川君がそんなだからか、山口君と仲良くする園児はほとんどなかった。誘われて住いまでついて行き、お祖母ちゃんを視たのは、園児のうちではたぶん私だけだったろう。

 山口君はきっと、富夫ではなくトミーだったのだろう。そんなこと私は、思いつきもしなかった。親からも教わらなかった。なん年か後、小学高学年になってから、自分で気づいた。吉川君は、そして園児たちの幾人かは、親から聞かされていたのだろうか。だから山口君と仲良くしなかったのだろうか。
 いつの頃からか、山口君はユリ組に通ってこなくなった。行ってみたら、お祖母ちゃんと住んでいた部屋には、他の人がいた。

宵の街灯。

 ところで園児ちゃんたち。今から十六時間ほど前、そのベンチに初老の男が独り腰掛けていたことなんぞは、知らなくていいからね。公園にはほかに人っこひとり見当らぬなかで、街灯にぼんやり照らし出されたオジサンのことなど、今は考える必要もない。
 ほんの十分ほど休憩するのかと思いきや、身動きしなかった。酔いを醒ましてでもいるのかと思いきや、三十分経っても動き出す気配はなかった。すいぶん寒くなってきた。なにか思い悩んででもいるんだろうか。居眠りしてるんだろうか。躰の具合を悪くして動けなくなってしまってるんだろうか。
 アイツどうしやがった。まだ居るか。風邪ひくがなぁ。一時間経つぜ。なにがあったんだかなぁ。きっと帰れない事情でもあるんだろうなぁ。十分おきに物干しへ上って、男を眺めおろしていたジイサンがいたことなんぞも、園児ちゃんたち、今は知らなくていいからね。