一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

芸祭茫々

暖簾。他サークルにはありえない看板。

 展示会場の隅に、何気なく吊るされてある暖簾だが、学生諸君はもちろん若手 OB にだって、そのいきさつを知る者はない。 

 サークルを立ち上げたころ、地道に古書店散策を積重ねて、会員の基礎知識が確かになったら、ゆくゆくは芸祭で古本屋でも出店できたら面白かろうと、夢を抱いていた。
 ところが学生諸君の熱意とパワーは凄まじく、半年後(つまりその秋の芸祭)には、古本屋を出店できることになってしまった。旧文芸棟のテラスに大ぶりなテントひと張りを占有して、三分の二が古書市、三分の一では生ビールを販売した。大盛況で、ともによく売れた。
 小南君が第二代会長の時代だった。全国の大学を見渡しても、古本を主題にしたサークルなどなかった時代だ。どうでも生ビール売場を併設しようと頑強に主張し、驚嘆すべき行動力とスタミナとを発揮したのは、副会長の岸君だった。


 さらにそれより前のこと。小南君も岸君も下級生で、所沢キャンパスに通学していた。事務方に新サークルを届け出たり、会議のために教室を借りたりするのに、江古田本部キャンパスに通学する者がいたほうが便利なので、とある心安い女子上級生に頼み込んで、名義上の初代会長に就任してもらった。
 彼女は小説を書く同人誌サークルに在籍していて、そちらには他サークルとの二重在籍はまかりならぬとの厳しい内規があり、差障りがあったのだが、「私が現会長ですから、規則なんか曲げちゃいますよ」と、唖然とするような女丈夫ぶりを発揮してくれた。彼女にたいしては今でも、感謝の想いしかない。
 そこで活動実態は所沢で下級生が、公式手続きは江古田で上級生がという、まことに変則的な形態で、古本屋研究会は出発した。小南君は名義上第二代、実質初代会長のようなものだった。

 さて芸祭への出店の可能性を模索する段となって、屋号があったほうがお客さまに目立ちやすく、自分たちでも称びやすいという噺になった。ひと晩かけて私は、思いつくまゝ紙に候補を書き並べた。二十ほどに絞ってから、学生諸君に計り、消去法で議論していった。参加者たちの議論を聴きながら終始黙して紙に視入っていた小南君が、「これだな、これにしましょう」と指差したのが、「堂々堂」だった。
 卒業後の小南君は長らくドイツに住んで、今や日本人なんだかドイツ人なんだか、判定しがたい人物となっている。

 翌る年、元村君が三代目会長に就任した。社会人経験を経て入学してきた苦労人で、後輩への気遣いも行届き、サークルは順調に発展した。
 そうだ、暖簾を創ろう! アイデアが閃いた。古研の備品としては、テーブルクロスと雑巾くらいしかない時分だった。財政基盤もしっかりしていない頃で、金は私が寄付する代りに、骨折りを任せられぬかと、元村君にお願いした。浅草橋だったかどこだったか、布製品の本場である下町へ足を運んで、企画をまとめてくれた。
 色だの字配りだの書体だの、デザインのあれこれについて、二人で詰めていった記憶がある。右下隅に余白が出るが、いかにしたもんかとの相談が、最後に残った。大人の渋好みを狙うのであれば無地のまゝで好い。若者らしい愛嬌を狙うのであれば、なにか捨てカットかワンポイントのごときものがあっても好い。私は迷った。
 「アレを使ってみてはどうでしょうか」と閃いてくれたのは元村君だった。

 当時の江古田キャンパスの正門は、今よりずっと東寄り(現北門近く)にあって、北西角(現正門)から正門までは、垂直方向の金属棒が檻のように続く透かし塀が立っていた。芸祭時にはそこへ、参加団体のポスターが数え切れぬほど、しかも整然と貼り出された。わが古研堂々堂も、 A4 判のポスター展示を許された。
 美形で人気の女子会員がいた。細身で物静かな彼女は、じつはアッケラカンとした気取らぬ性格で、古書店巡りに際しては映画関連にしか興味を示さなかった。古い映画のチラシだろうがプログラムだろうが、古本屋の床から平積みになった一見紙屑のごときものまで見逃さずに掘り返す、すこぶる付きの個性派女子だった。
 藝術学部へやって来るのは、なるほどかような女子かと私は感じ入った。文芸学科の学生ながらイラストなんぞも器用に描いてしまう彼女は、元村君からの依頼を受けて、手描きポスターなんぞ苦もなく仕上げてしまった。これは自画像かね、いや少し違うだろうと、男子連中の話題となった。
 暖簾の余白を埋める素材として、元村君はそのイラストの流用を、思いついてくれたのだった。以来二十年あまり、学生古書市「堂々堂」が開店する日には、この屋号のこの書体が店を象徴し、隅ではいつも細面のご婦人が読書し続けているのである。
 現在元村君は医療従事者で、過密スケジュールの暮しを余儀なくされているが、後輩たちの手に余る事態が生じると、今でも無理算段してくれる。後輩たちも、私では頼りないので、相談事は元村君のほうへ持ちかけているようだ。助かる。

江古田駅構内。

 私は退職した。新進気鋭の女流小説家が講師として赴任してきた。今より声が出た時分に私の教室に在籍した女性で、かつて卒業作品も読ませてもらった。彼女に後を頼みこんだ。学生諸君の人気も信頼も集めることだろう。私に残された仕事は、みずからを誇ることのない多くの先輩たちの功績を、若者に語り継ぐことだけだ。
 が、それもどうやら怪しくなってきた。なにせ江古田駅に降りたとたんに、驚いて一瞬立ち停まってしまったのである。貼紙が「馬のフンに注意せよ」と読めてしまった。