一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

原則

小山内薫(1881 - 1921)

 もともと文筆稼業なんて、そんなもんだ。

 『回想録』という文章で正宗白鳥が、当時の官立(つまり帝大)と私学の格差について回想している。制度的格差ではなく、社会通念としてだ。坪内逍遥先生だって、愛弟子の島村抱月より高山樗牛を買っていた、なんぞという暴露までしている。まったくこの人は、身もフタもない。樗牛は東京帝大哲学科卒だ。
 新人文筆家だった時分の稿料にも言及している。当時の大出版社だった博文館や春陽堂で、小山内薫は一枚六十銭で自分は五十銭だったと。雑誌『太陽』(博文館)編集部員に長谷川天渓、雑誌『新小説』(春陽堂)編集長に後藤宙外がいた。ともに早稲田出身者だったにもかゝわらず、稿料相場はさようだった。
 小山内は東京帝大の文学科卒。第一次『新思潮』を起した人で、西洋の戯曲を紹介し、実作も演出も手掛けて、新劇運動の道を拓いた人だ。「演出」という語を最初に用いた人とも云われている。

 読者に向けて遜色ない感興を提供し、力量・経歴・人品いずれも遜色ないのであれば、稿料格差は不自然だろうと感じた白鳥は、自分が「読売」の文芸欄を担当するようになったときには旧習を打破して、岩野泡鳴にも小山内薫にも同額の稿料を払うようにしたそうだ。
 些末な逸話のように素気なく回想してあるが、たいした見識を示した、度胸を要する行動だったのではないだろうか。

 稿料については、こんなこともある。これは白鳥とは関係なく、昭和初年代の噺だが、円本ブームと称ばれた空前の全集出版ブームがあった。それを機に、ともすると文士が飯を食えるかもしれぬ職業となった、出版史のエポックだ。
 各全集の巻末に、解説なり年譜なりの資料ページが付いた。その解説者への稿料支払いが問題となった。改造社だか春陽堂だか、ブームの火付け役となった版元が、印税をページ案分する方式を考えた。かりに三百ページの作品集に十ページの解説が付いた場合、印税分の 30/31 を著者に、1/31 を解説者に支払うといった考えかたである。
 この方式でいかがかと、有力作家がたへ打診して廻った。志賀直哉から異論が出た。「それでは、著者と解説者との共著となってしまうではないか。自分は共著を刊行する気はない。脱けさせてもらう」
 恐縮した版元が、自案を取下げたことは申すまでもない。志賀の説は、たしかにもっともではある。全集の著者とは、収録作品の作者以外には考えられまい。以後今日にいたるまで、印税はあくまで著者への支払い。解説原稿は買い取り。それが出版界の原則となっている。

津本 陽(1929 - 2018)

  二流文筆屋に回ってくる仕事のひとつに、文庫本の解説という役目がある。仕事が回ってくる経緯には、だいたい三種類がある。
 1)著者からご指名が掛った場合。
 小嵐九八郎『諏訪青春水滸伝』(講談社文庫)は、ありがたくも小嵐さんご自身が、アイツにやらせろと、編集部へ進言してくださった。めったにあることじゃない。

 2)適当な引受け手が見当らぬ場合。
 南木佳士『ふいに吹く風』(文春文庫)がそれだ。南木作品の最初の文庫化は芥川賞作品『ダイヤモンドダスト』だったが、受賞作の故か、巻末解説は付いてなかった。二冊目の文庫化がエッセイ集『ふいに吹く風』だった。信州の大病院の勤務医にして、地味で寡作の、いわば誠実だが小声の作家だ。その特質に触れた論は、まだ世に一篇も現れていなかった。当時私は、地方新聞に読書案内の小さなコラムを持っていて、それまでになん回か、南木作品について短く紹介していた。それを目ざとく見つけた人があったようだ。
 その後南木さんは、次つぎ佳作を書かれ、多くの注目を集めるところとなり、文庫化もあい次いだ。そうなれば、私の元へなど、二度と注文は来ない。

 原田宗典『スメル男』(講談社文庫)も似た事情だ。もともと劇作家だった原田さんは、軽妙な青春小説をもって若い読者のあいだに人気急上昇となりつつあった。『スメル男』は最初の書下し長篇だ。しかも最初の文庫化だ。これまたどこにも論じた者がない。単行本刊行時に新聞書評では採りあげられていた。この書評執筆者はどんなヤツだ、というわけで、私へのお声掛りとなった。
 その後ますます原田さんは人気上昇。ご著書も次つぎ文庫化されていったが、さような次第となればご多分に漏れず、私になど二度と座敷は掛らない。

 3)有名解説者に依頼しづらい場合。
 津本陽柳生兵庫助』(文春文庫)の初出は新聞小説。全七巻の長篇。解説は最終巻の巻末にのみ。原稿枚数は記憶にないが、こんだけ読んでその稿料かよ、という仕事。いくらなんでも、ご多忙の著名解説者には依頼しづらい。便利屋のアイツならなんとかするだろう、という次第で、私の出番となった。いたしましたさ、なんとか。
 津本陽『巨人伝』(文春文庫)は上下二巻。長さにさほどの問題はないが、扱う対象が大問題。津本さんお得意の剣豪物ではない。「巨人」とは南方熊楠のこと。同郷和歌山が産んだ日本近代の怪物学者を、津本さんが情熱と尊敬をこめて長年にわたり調べあげた渾身の大作だ。こんなもんに下手に触ろうものなら、解説者の命取りだ。つまり、私に仕事が回ってくる。

 仕事に不満があるわけじゃない。今さら志賀直哉に絡むわけでもないんだが。
 原田宗典さんの『スメル男』は売れに売れた。二十刷以上行ったろう。津本陽さんの作品も、ロングセラーとなっているはずだ。が、解説者小生のさゝやかな駄稿は、初版時に買い切られたまゝで、重版しようが改訂版となろうが、文藝春秋からも講談社からも、ハガキ一枚いたゞいたことはない。それが出版界の原則というものである。