一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

視てきたような

扇子、釈台、張り扇。

 講談の人気が復活しているという。新しいスターが若い観客に支持され、その勢いで古参の芸が今さらながらに評価されているのだろう。歓ばしいことだ。

 三十代なかばの、まぁキャリアウーマンというのか、自信ありげな女性から説教されてしまった。酒場での、いわば定連仲間だ。寄席の芸人さんがたを知らずして、現代を語れないという。寄席よりも、大ネタを端折らずに聴けるホール公演や独演会がお奨めだという。寄席はミーハー相手の顔見世みたいなもんで、耳が肥えた客には物足りないのだという。(やれやれ……。寄席をご存じないお嬢チャマだ。)
 今度、売れっ子の見巧者を連れて来るから、まずは話してみろという。雑誌などに寄席演芸についての消息記事を書いている「評論家」だという。いえ結構ですとも云えぬから、まぁ機会があったら是非と応えておいた。その曖昧さがいけなかった。後日彼女は本当に、その評論家氏を伴ってご来店あそばしたのである。やはり三十代の、整髪料美男子といったところか。

 「落語だけじゃなくて、こちらは講談なんかも、とってもお詳しいんですよ。雑誌にも書いていらっしゃるんですから。今は女性講談師さんも相当増えて、盛んなんです。ね、そうですよね。女性に向いてるんでしょうかね」
 「はい、昔は女の寄席芸人も多かったんですよ。タレギダなんて称ばれて……」
 「えゝーっ、そんな古い噺なのぉ! 山陽さんがきっかけだったんじゃないのかね」
 シマッタ、口が滑った。いっさい口出しぜぬつもりだったのに。取返しがつかない。評論家氏は不機嫌そうに黙ってしまわれた。彼女は狐に抓まれたような顔つきだった。
 タレギダとは女義太夫・娘義太夫を指すやゝ好色味を帯びた、下卑たニュアンスのある隠語で、戦前の言葉だ。志賀直哉だの宇野浩二だのが寄席に足を運んだ時分の語である。古い語を引っぱり出しておけば煙に巻けると、さては評論家氏、無知な酔漢を見くびりなすったのだったか。

神田山陽(二代目)(1909 - 2000)

 講談は落語と違って、笑いの要素が少ない。というより、ほとんどない。内容は武士やら豪傑やら偉人やらを主人公とする歴史ものが多い。庶民男女が織りなす人情や心理の綾が中心の落語とは異なる。甲高い声を張り上げて女性が語るに不向きであるとして、ある時期まで、女性の弟子が採られることはなかった。他の大衆芸能にはない、女人禁制的な世界だった。
 加えて、どうした加減か、噺家さんより数が少ないにもかゝわらず、講談師さんがたはなかなかひと塊になれず、協会分裂また復帰など離合集散が激しかった。それかあらぬか講談界全体の空気が奮わなかった。
 テレビや映画への登場機会があったほゞ唯一の講談師、一龍齋貞鳳さんのエッセイ集のタイトルが『講談師ただいま24人』とあった。このまゝ消えてしまうにはいかにも惜しい財産であり芸ではあるが、実情は風前の灯火であるとの認識は、玄人素人を問わずだれにもあった。落語ブームがやってきても、講談界の後継者はいっこうに入門してこなかった。

 女弟子を採用すれば好い、もしも希望者があるならば。さよう決断して踏み切ったのが神田山陽さん(二代目)だった。講談界の重鎮の一人でいらっしゃると同時に、テレビの将棋番組で司会者を務めるほど無類の将棋愛好家として知られ、各界の人脈も豊富だった。神田紅さんや神田紫さんらの女性弟子が次つぎ入門された。今思えばお笑い草だが、山陽さん、そんなことなさって大丈夫ですかとの空気が、素人にさえ感じられたほどだったから、業界内では賛否両論飛び交ったに相違ない。が、女性お弟子がたの頑張りは目覚しかった。

 紅さんは文学座の養成所におられた。その前は早稲田の学生だったと聴いた。学生劇団にでも所属されていたのだろうか。政治運動の高波が一応去った直後に当っていたから、芸術サークルも活発な時期ではなかった。自分を活かす道を索めて文学座養成所へも行かれ、やがて山陽さんと出逢われたのだったろう。
 宮本武蔵堀部安兵衛をそのまゝ語るわけにもゆくまい。女性視点から語り直す作業がなされた。女性を主人公とする新作も考案された。和泉式部だって、春日局だって、樋口一葉だって、伊藤野枝だって、いや高橋お伝阿部定さえも、講談に仕立てられそうな女性ではないか。たしか紅さんには、マリリン・モンローなんぞというオリジナル・レパートリーもあったはずだ。
 立体講談と称して、座布団から立ちあがる演出もなされた。守旧派の先輩がたからは、タブーを破る暴挙と非難を浴びたかもしれない。詳しくは知らぬが。

 紫さんも、文学座養成所におられたのではなかったか。入門なさってからも女優志向の強いかたで、たしか若手の男性俳優たちと共演した小劇場公演を、観に行った憶えがある。語り手兼主役といった舞台だったと記憶する。
 お二人ともに、山陽さんに出逢われる前の、女優を目指した経験を強みとして活かした芸風を確立されたということになろうか。
 それからざっと四十年経ったのだから、紅さん、紫さんと姉妹弟子がた、さらに彼女らのお弟子さんがたという時代となって、女性講談師が珍しくもなくなり、むろん男性の才能人も頭角を現して、お若い観客を集める講談界となったことはめでたい。
 タレギダとは、関係ねえと、思うんだがなぁ。

 ちなみに、危機に瀕したるを憂えて『講談師ただいま24人』を書いた一龍齋貞鳳さんとは、テレビ草創期の NHK 人気喜劇番組『お笑い三人組』で、江戸屋猫八さん、三遊亭小金馬さん(当時)との三人組で、長年茶の間に親しまれたかたである。
 毎週客席に観客を入れ、舞台と客席の間にはオーケストラボックスがあって指揮者と楽団による生演奏つきで劇が進行するという、現在から思うと豪勢な劇場中継だった。まさしくミュージカルさながらである。
 ビデオテープなど影も形もない時代の、きびしい生進行だった。想定外の事故や思わぬ失敗も含めて、出演者たちの素の力量が愉しめる劇番組だった。