一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

桜葉降る



 この季節は、桜と花梨の枯葉が降る。風のない日でも、毎日降る。

 往来を汚す。できれば毎朝、落葉掃きするのが望ましい。が、怠けている。せいぜい三日に一度程度だ。
 お向う三軒のお玄関先も、少しは汚すが、ほんのわずかだ。ビル風のごとく風向きに癖があるらしい。落葉はほとんど往来のこちらがわに降る。両隣は、立ち退かれた跡の金網空地とコインパーキングだから、苦情を云ってこない。で、高を括っているわけだ。

 ところが私の出番は、三日に一度すらない。お向うの粉川さんのお婆ちゃんが、ついでだからとおっしゃって、拙宅前をも掃いてくださってしまう。その頻度が、私の三日に一度より頻繁なものだから、ついつい甘えてしまう場合が多い。子どもの言い訳と同じだ。「今、やろうと思ってたのにぃ~」
 粉川さんは私より早起きだ。が、私が先に表へ出ている朝もある。「お早いですねえ」「いえいえ、たまには」
 じつはこれから寝ようと、私は思っているのだ。が、いちいち説明はしない。

 早いだけでなく、粉川さんは規則正しい。愛犬を連れて散歩に出る暮しを何年もしてこられたからだ。散歩から戻られて、プードルを部屋で休ませてる間に、往来掃きに出てくださるらしい。
 この夏、そのプードルが死んだ。齢に不足はない老犬だった。やゝ遠方ではあるが、ペットの供養をしてくださる寺を紹介して差上げた。三十年以上前に私も経験したが、その時の寺が今も同じ供養を引受けてくれていたのだ。法律上ではペットの亡骸は生ゴミである。ゴミ焼却もしくはゴミ処理業務を兼ねる寺院、ということだった。墓も建ててもらった。数年後に、やゝ大ぶりな永代供養墓に合祀された。粉川さんが先ざきどうされるおつもりかは、伺ってない。

 愛犬に死なれて、粉川さんは名実ともにお独り住いになられた。心もち元気をなくされたか、マンション内のいざこざに対する戦闘意欲が弱られたようだ。ご子息は余所で家庭をもっておられる。世話になるのは嫌だとおっしゃる。住み慣れた部屋が好いと。
 拙宅の土地が半分ほど東京都に召上げられたあと、私が残地にこぢんまり住み続けるかどうかと、さかんに訊ねられたことがあった。
 「プレハブ小屋を建ててだって、私はこゝから動きませんとも」
 さようお応えしたら、安堵した顔つきで帰って行かれた。

 今朝落葉を掃いていると、粉川さんから声を掛けられた。把手に腕を通した買物バッグを肘から提げて、愛犬抜きの独りお散歩だ。バッグはいつも軽そうだ。コンビニか二十四時間スーパーかで買物をなさるわけでもないらしい。
 「ごめんねぇ、こゝんとこ腰痛がひどくて、なかなか掃けないのよぉ。あたしも八十過ぎたものぉ。マンションの連中にも云って、あたしが塵取りまで買ったのよぉ。駄目なやつばっかでぇ」
 「とんでもございません。私が怠けているばかりに、いつもいつもお手数をかけっぱなしで、面目次第も……」
 「お父さま亡くなられて、七年八年にもなるかしら。今月ご命日でしょう。今年もお墓参りさせてもらうわ」
 「ありがたいです。昨年、十三回忌でした」
 「えゝっ、もうそんな……」
 私にも覚えがある。齢をとると生活が判で捺したように単調になるせいか、またこれといって記憶するに足るほどの案件が身辺からなくなるせいか、もうそんなに年月が経ったかと感じられることばかりだ。

 化粧品メイカーのロゴが染め出された買物バッグをひらひらさせて、お婆ちゃんは独り散歩へと出掛けていった。