一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

冬の色



 フラワー公園のケヤキの色づきが眼に鮮やかで、どれどれワンカットと近づいて、近景に隣の柑橘樹を入れると、どう撮ってもそっちが主役になってしまう。苦笑を禁じ得ない。
 公園は駅や商店街とは逆方向だから、散歩の足がこちらへ向う場合を除けば、銭湯か散髪に行くときしか、前を通らない。銭湯の場合は日暮れているから、ケヤキの色合いには気づかなかった。

 マスターも時には、頼まれて出張調髪に出向くことがあるそうだ。長年ご来店のお客さまが高齢となって出歩けなくなったりした場合に限って、対応しているという。
 ―― 普通はお引受けしないんですがね。
 ところが出張調髪でおゝいに売上げを揚げている同業者もあるそうだ。なかには店は雇いの職人に任せて、店主夫妻は出張調髪に走り回っている例まであるという。散髪用具のみならず、洗髪設備から衛生殺菌設備、蒸タオルのための蒸気設備まで完璧装備した、キッチンカー顔負けのワゴン車で、顧客宅を訪問するらしい。
 ―― あたしゃご免ですね。よろず行届きませんが、それでもよろしければと、お断りしてお伺いするようにしてます。

 高齢化時代ということか。コロナ禍時代ということか。ウーバーイーツの自転車やスクーターバイクを日にいく度も眼にする時代ということか。
 それとも、昔に帰りつゝあるのだろうか。番場の忠太郎が母を訪ねて料亭水熊へ顔を出したとき、女将おはまは娘お登世の磨きあげに余念がない。髪結いだろうが呉服屋だろうが、呼びつけて自宅で仕上げさせるのである。長谷川伸瞼の母』では。
 女隠密は髪結いとなって、武家や大店の勝手座敷や縁側にまで入り込み、内情を探ったのである。『必殺仕事人』や『鬼平犯科帳』では。

 床を離れられぬ老人の散髪を依頼される場合も生じる。介護士さんが常時面倒を看ている。そんなとき、ご本人やご家族からは、若く元気だった時分に少しでも似せるように、長めに豊かに調髪してくれと依頼されるそうだ。「ねえ理容師さん、そうでしょう?」と同意を求められる。
 介護士さん、家政婦さん、看護士さんからは、お世話しやすいように、本人も楽なように、短くさっぱり調髪してくれと依頼される。「ねえ理容師さん、そうでしょう?」と同意を求められる。
 板挟みだ。どちらの機嫌をそこねても、あとの仕事に差支える。そんなとき、いずれに同意してもならない。「いかようにもいたしますので、そちらさまでどうぞ、よくご相談くださいまして……」と応えねばならない。
 理容組合で実施している、訪問調髪に関する講習会で、口を酸っぱくして念押しされるそうだ。

 わずかな髪を丸刈りにするだけだから、サッとバリカンを当て回して洗髪。というより頭皮のなめし。私の散髪はすぐ済んでしまう。ご母堂からお茶が振舞われ、毎回恐縮する。今日のお菓子は月餅だ。先月は栗饅頭だったので、その場で美味しくいたゞいたが、月餅となると噺が違う。気分を整えて、最適なタイミングでいたゞきたい。上着のポケットに入れた。