一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

親孝行

長谷川元吉(1940 - 2017)『父・長谷川四郎の謎』(草思社、2002)

 謎は解けた。そしてますます深まった。たいした本だ。

 著者は長谷川四郎のご長男。映画カメラマンにして、また圧倒的本数の TV コマーシャルを撮影してこられた人だ。デビュー作は吉田喜重監督の『エロス+虐殺』とのこと。同監督の次作『戒厳令』ともども、学生だった私が「アートシアター新宿文化」へ通い詰めていた時分に、胸躍らせた映画だ。
 父親の仕事の関係で北京に産れ、のち大連や新京つまり満洲の都市を転々としながら成長なさった。幼少期に肉眼で視た記憶断片と、後年公表された父の作品や発言とを照合しながら、長谷川四郎の戦中戦後の闇に包まれた部分を推理し、検証したのが本書だ。

 戦時中満洲にあって、長谷川四郎の判断にも行動にも、謎の部分があまりに多い。南満洲鉄道(満鉄:当時最大の国策企業)調査部という高給取りエリート会社員が、設立間もない非公開団体である満洲協和会などに転職したのはなぜか? しかも新職場への赴任まえに「練成期間」と称する半年が経過している理由は? 練成がマインド・コントロールの意味だったとすれば、その間になにが?
 協和会では熱心に活動し、地区の事務長にまで昇進した。ところが事務長クラスには召集令状が来ないはずなのに、彼が召集されたのはなぜか? 協和会とは満州帝国の理想である五族共和を実現すべく動いた団体だから、当然ながら五族間の平等が建前だ。他の四族を支配下に置くための傀儡国家としたい、日本の権力層とは背馳する。権力層には長谷川を共産主義者と、またソ連のスパイと目する者まであったという。

 死んでいてもおかしくない状況に置かれて、三度まで命拾いしたのはなぜか? 敗戦後シベリア抑留となるが、復員帰国は昭和二十五年と、周囲に飛び抜けて遅かったのはなぜか? ソ連がわでも長谷川を、諜報部員もしくは特殊任務に就いていた兵隊と目していたのではないか? まだまだ、疑問は山ほどある。
 疑問の山へ潜りこむとば口として著者は、身内ならではの着眼から入る。弟は父から移った発疹チフスで他界したのだったが、そもそも父はその発疹チフス(シラミが媒介)に、いつどこで感染したのだったか?
 推理と検証を重ねてゆくと、予想もしなかった仮説が立ち現れる。父は途方もない重要国家機密を知ってしまったのではないのか。

 長谷川四郎は生前、人生には迷彩を施してあっていくぶん神秘化させてある。本当のことは作品の中にだけあると、家族に漏らしていたという。その作品が、押し殺した声量で描かれてあるから、困難なのだ。
 日本の帝国権力と満洲帝国独立理想派と、八路軍共産党)と重慶軍(国民党)と、さらには地元満洲に根をおろす地方軍閥とが、入り乱れて抗争するなかでの判断であり行動である。彼我二元論でしか敵味方について考えられぬ単純思考では、とうてい想像が及ばない。それが実態だった。そこへソ連が乗込んできた。日本は敗戦した。

著者(中央)とご両親。大連にて 1941 年。本書口絵より。

 戦後文学、戦後派作家などというと、すでに論じ尽された古臭い文学と思っている人もあろうか。代表的な(そして象徴的な)いく人かについてはずいぶん論じられ、研究もなされた。評価もある程度定まっているかに見える。
 が、とんでもない。研究が立ち遅れている、それどころかほとんど手つかずの作家もある。作品が取るに足らぬからではない。論者・研究者をやすやすとは寄せつけぬ難解さもしくは薄気味悪さが、作品か作者かにあるからだ。手っとり早く手柄を挙げて、ポイントを稼ぎたい研究者には、不向きな文学なのだ。

 さような作家を少なくとも三人、私は思い浮べることができる。なかの一人が長谷川四郎だ。少数ながら熱烈な愛読者をもち、全集も刊行されている作家だから、埋れた存在なんぞではない。かくれもなき有名作家だ。しかし長谷川四郎の作家像と作品とを、おゝかたの読者が納得できるように解きほぐしてくれた「論」を、私は視たことがない。足跡と人柄とを丸彫りに彫りあげた「伝」にも、接したことがない。
 謎が多く、しかもその謎の核心が、昭和史もしくは日本近代史のタブーとすら視做されがちな、仄暗く血なまぐさい領域に関わっているようで、気味悪いのだ。不用意に深入りしようものなら足を取られて、論者・研究者のほうが命取りの憂目に遭わぬとも限らない。触らぬ神に祟りなしである。

 だが作品はあまりに魅力的だ。材料の表裏すべてが描かれてあるわけではない。表現力に問題があるのではなく、なにもかもをあけすけに書くことが許されぬ類の材料なのだ。そこを技法的工夫によって、暗示的にでも連想的にでも、なんとか描き出そうと格闘した文学だ。当然ながら大声の主張などない。小声の呟きによる暗示のみがある。沈黙もしくは省略に、言葉と同等の重量がある。
 まさしく研究者泣かせの文学といえよう。

 本書によって、長谷川四郎についての謎のとば口が大きく開いた。かなり瞭らかになった。が、新たな深い疑問も発生した。謎はいっそう魅力的になった。
 著者はお父上にたいして、視上げた親孝行をなされた。