一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

大収穫

とにかく、どれもデカイ!

 学友大北君の菜園から、またも収穫のご恵贈に与った。炊き合せるにせよ煮ころがすにせよ、里芋は四分の一にカットして使わせていたゞこう。
 これほど大ぶりの生姜を、川口青果店でもサミットストアでも視たことがない。それに私は生姜を、風味付けか臭み取り程度にしか使ってこなかったので、日ごろは一個づつしか買わない。生姜が拙宅台所に山を成した前歴はない。ガリ(保存用酢漬け生姜)にしようか。細切りにして、天ぷらふうに揚げてみようか。生姜たっぷりの、ピリ辛野菜炒めにもチャレンジか。
 菜つきの蕪も、商店では視かけない。大根菜より繊維が硬いので、あっさり使うとすると、いったん塩茹でが必要かもしれない。

 なにか芋でも、と迷った場合には、長所短所あれこれ勘案したうえで、結局はじゃが芋を買ってしまうことがほとんどだ。大根か蕪かと迷った場合も、大根にしてしまう。どうしても選択食材が偏ってくる。選択肢第二位の食材は、めったに買われぬこととなる。大北君からの頂戴物によって、珍しいものを口にする貴重な機会が得られる。
 それにしても、大北君からは「少しずつですが送りました」とメールをいたゞいた。畑に立って眺めると、これは「少し」なのか。台所で眺めると「大量」である。

 健康維持と愉しみをかねて、菜園に精を出しておられるらしいが、なんとも結構な老後スタイルを確立されたもんだ。クラスで屈指の洗練された都会派学生だった大北君が、服飾業界やその他の勤めを卒業した後に、かようなライフスタイルを選ばれたことは、驚きでもあるし、反面なるほどごもっともという気もする。
 さようなバランスというか、振子の振れ幅のような人生は、私には思いも寄らなかった。若き日に夢想したことが中年期を選択させ、さような社会人だったことが老年期の過しかたに影を落している。
 かといって、ひと筋に貫いただのかたくなに維持したなどというのとは、似ても似つかない。個々の局面にあっては、妥協や断念や、節操放棄や負け犬の自己慰撫や、さらには居直りや捨て鉢の連続だったような気がする。それでもとにかく、二十歳の自分が好きだったことを、今でもかろうじて、考えの中心にして暮してはいる。暢気な奴と云われゝば、否定はしない。幅の狭い奴だと云われても、同意する。

 ところで昨日、ヤマト運輸株式会社という発信人名でメールを受取った。明日午前、大北さまよりの荷物を届けます、との趣旨だった。初めての経験だ。さようなサービスがあるのだろうか。宅配依頼のさいに、今回であれば大北君が指定すると、クロネコヤマトでは、配達予定を通知してくれるのだろうか。知らなかった。便利になったもんだ。時間不規則生活の私にとっては、大助かりだ。

 拙宅に毎度お届けくださる、ヤマト便の配達担当さんは、この営業所に長くお勤めのベテランだ。
 「〇年で配置異動が普通なんだけど、ホラ、俺は出世が遅いから」
 屈託のない笑顔を見せる男で、私とは顔馴染だ。この時間はまだ寝てる、この時間は不在が多いと、わが暮しをいろいろ知ってくれていて、わざわざ時間をずらして配達してくれたりしている。
 が、今日の荷物は生ものだし、「午前中」と配達日時指定された荷物だ。朝っぱらからやって来た。
 「こんな時間にと思ったけど、指定があったもんだから……」
 申しわけなさそうに云う。とんでもない、どういたしまして。日ごろ余計なお気を遣っていたゞいているのは当方ですのに。ありがたく、捧げ戴くように荷物を頂戴した。

 さて、蕪は少しづついたゞきたいから、やはりスライスして浅漬けかしらん。里芋は味噌汁で二回は欲しい。煮ころがしの味加減が、はて思い出そうとしても、記憶が蘇らない。健忘症がひどい。