一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ウクライナ


 ウクライナのワインだそうだ。初めていたゞく。

 文学部文芸学科は、専門研究分野を限定せずに、自由研究および作品創作に主眼を置く特色ある学科だった。専属の教授はいらっしゃらない。カリキュラムに適した教授が各学科から出向のかたちでご講義なさった。学者先生では手に負えぬ娑婆のゴチャゴチャについては、外部から客員だの非常勤だのといったかたちで、教員を補充した。作家だの批評家だの文芸編集者だの、なにせその方面に身を置く卒業者には事欠かぬ大学だった。
 学科主任は仏文、露文、日文ほか各学科の教授がたが出向するかたちで、務めておられた。教授会で適材適所が図られたのだろうが、ま、順繰り持回りの空気もあったことだろう。来年度から英文科の大島一彦教授が、文芸学科主任に就任されると内定した年があった。

 小説家としては文学史上「第三の新人」作家の一人とされる小沼丹先生は、かつて英文学科の教授であられた。私も学生時代にご尊顔を拝するだけの目的で、教室へ潜りこんだことがある。英国小説論を学ぶ気はなかったけれども、小説家の小沼丹ってどんな顔でどんな声の人だろうと思って、不埒にも覗き観しに出掛けたのである。
 大島一彦さんは数年上級生で、私が覗き観に潜ったころには大学院生だったのではないだろうか。小沼先生の愛弟子で、むろん私とは互いに知るよしもない。後年は後輩がたがずらりと小沼山脈を形成する教授がたとなられたが、大島さんはその惣領弟子だ。
 師匠から創作家の側面は受継がれず、温厚なユーモア精神の面と、言葉を精細に吟味して丁寧に扱われる面とを継承され、篤実な英文学者となられた。とはいえ無類の文学好きで、英国近代小説をこつこつ読みつのりながらも、日本の作家たちへの眼配りをも欠かさぬ人だ。ひと言で申せば、わきまえの確かな行儀のよろしい文学学者である。

 その大島さんが、文芸学科の主任教授にご就任の運びとなって、はたと困られた。文芸学科といえば、専門研究分野を絞らずに、作家や出版人やさらには映画人や放送人を目指す学生たちがとぐろを巻く、落ちこぼれといおうか暴れん坊といおうか、愚連隊文学青年の巣窟である。折り目正しい英文学者が「話せば解る」なんぞと云ったところで、問答無用とばかりに一発ズドンと、ぶっぱなすような学生はウヨウヨいる。

 私は大島教授のもとへお願いやらご相談に伺う、いわば出入り業者の一人だった。学生向けの英語リーダーを造って大学へ売込み、教授がたのご研究成果の刊行をお手伝いする零細出版社の社員だった。いく度も参上するうちに、数年差の先輩後輩ということもあって親しくさせていたゞくようになって、ついつい口が滑った。当方同人雑誌にあれこれ書き続けてきた男で、それらから選んだ文で一冊著書をもち、書評や読書コラムや文庫本の後付け解説など、埋草記事を書き散らすライターでもあると、明してしまった。日ごろ商売で参上したお得意さまには、伏せてきた身辺事情だ。
 大島さんは、それをたいそう面白がってくださったようだ。文芸学科の学生たちの話し相手には、かような男がうってつけだと。まさに毒をもって毒を制するの図だ。

 「君ね、講師として来ない?」
 「へっ、学生諸君に私が、なにを喋ればよろしいんで?」
 「それは、これから考える。昭和から現在までの日本文学の大雑把な見取図を、学生に見えるようにして欲しい。第一文学部と第二文学部を両方やってもらうとなると、とりあえず金曜の四限と五限」
 「講義趣旨はあとで、出番だけ決ってるんで?」
 「うん、その日はぼくも出講日だから、あとで飲む都合」
 「なるほど、そういうことでしたら」
 教職資格も教員経験もない私の講師拝命は、あっけなく決ってしまった。
 以来三大学にて、掛持ちが多かったから年月では二十四年間だが、三大学延べ年数となれば四十三年間、若者を前にしてどうでも好いような噺を喋り散らかすことになる、それが最初のきっかけだった。

 十九世紀から二十世紀前半の英国小説をよく読んでおられた大島さんだが、後年は根源へと遡るご気分だろうか、時代を少し遡られて、ジェーン・オースティンの翻訳をなん冊も完成し、刊行された。オースティンとなれば、どれも長篇大作だ。毎朝定時に起床し、決めた量の翻訳をなさり、読み返しては整合性を確かめてから、大学の仕事に出掛ける。そんな暮しを根気よくなん年も繰返さなければ、成就できるものではない。
 酒を断たれたはずはないから、夜更かし仕事はなさらなかったはずだ。

 互いの定年退職まで、ずいぶん酒席をご一緒させていたゞいた。ほとんどの場合は、酒(日本酒)だ。文学談や他愛ない昔噺には酒が合う。洋酒では、ほんのわずかながら気分が異なる。
 贈物をいたゞく場合にも、ご郷里の銘酒を厳選してくださってきた。それが当りまえだった。が、今回初めて、ワインを頂戴した。ウクライナのワインだ。申すまでもなく、ワインであることにではなく、ウクライナであることに、贈物の眼目がある。
 長年ご一緒した酒席にあって、時局政治や世相流行への慨嘆が話題に上ったことは、ほとんどない。すべからく文学談であり、恩師がたの面影や逸話についての、懐かしき噺や笑える噺に終始してきた。が、今回ばかりは、やむにやまれぬ気分、かといって言葉にするには、それも違うという想いがおありなのだろう。