一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

佳味延命


 暮れ正月の糧秣届く。籠城自粛戦術に兵站からの兵糧支援である。

 文筆・書籍編集・デザイン・印刷物制作ほか、よろず引受け業の若き友人ながしろさんから、食糧支援をいたゞいた。ながしろさんは私にとっては、パソコンの顧問である。
 私は五十五歳から自宅でパソコンをいじり始めた。基礎が身に付いておらず、自分が利用する機能に関することしか知らない。勉強する気もあまりない。したがって誤ってクリックして脇道に踏み入ってしまうと、もとに戻れなくなってしまう。電源を落して再立上げしても回復していないと、もう処置なしである。初期化して再設定なんぞ、自分でできるはずもない。しかたなく、ながしろさんに電話する破目となる。
 携帯・スマホの類は、いまだ所持したことがない。

 パソコンには、三十歳代に社用で触れた。まだ社員個人用フロッピーとユーティリティー・フロッピーという二枚のディスクを差込んで、画面が立上る時代だった。その後、失業・転職のうちに勤務先はどんどん零細となってゆき、デスクにパソコンなど置かぬ環境となっていった。気づかぬうちに、パソコンの形態も操作も、ずいぶん変化していた。
 空白二十年間に、キーボードを打たなかったわけではない。ワープロを使っていた。文豪ミニファイブといったか、丁寧に長く使った。パソコン導入時にある人に見せたら、縄文式ワープロですねと感心された。

 さてパソコンについては、思い起せば今年も二度ばかりヤラカシた。誤操作による遭難事故だ。ながしろ救急隊にご出動願った。呆気なく鎮火した。お礼申さねばならぬのは当方だ。にもかゝわらず、蕎麦うどんの詰合せの贈り物を頂戴してしまった。
 アラフォーでお子たち二人。人生の真盛りである。私なんぞより苦労も課題もはるかに多い。お気遣いかたじけなくはあるが、それよりも恐縮の極みだ。

 蕎麦もうどんも、じつは大好物だ。が、日ごろ大っぴらには口にしない。うっかりすると、とんだ能書き野郎と出っくわして、鼻白む想いをしがちだからだ。
 蕎麦と酒と寿司については、どういうわけだか、能書き好きが多い。お詳しいのは結構だし、優れた味覚をお持ちなのはご尊敬申しあげよう。でも小うるさいのは願い下げだ。お好きでしたらどうぞ、お好きなものを召上って、お好きな店にお通いください。噺は愉しく、羨ましく伺いますけれども、どうか決めつけないでください。二流の味覚保持者には、二流なりの愉しみかたがあるのですから、放っといてください。

 幸せなことに今の日本では、不味いものになどそうそうはお眼にかゝれまい。たいそう美味いものと、美味いものと、少し美味いものとがあるだけだ。
 戦争中や戦後食糧難の時代に成長期だった先輩がたのなかには、その後成人なさってもサツマイモが食えない、カボチャが食えないとおっしゃるかたも現にある。薬のない時代に肝臓疾患を患って、シジミで治したというかたもある。毎日朝昼晩シジミ汁を飲まされて、今やお気の毒にも、貝類の出汁の香を嗅ぐだけで食欲が失せるそうだ。

 不味いものになどめったにお眼にかからぬ国と時代に生れ合せて、ほんとうに好かった。これからどうなるかは、知らない。
 世の中には、大好物がどっさりある。あり過ぎて、さほど高価でもない好物だとて、ふだん食す機会がないものも多い。ともあれ大好物たちが、わが命を延してくれている。
 ながしろさんへのお礼状には、佳味延命と書かせてもらった。