一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

平穏か老化か


 昨日に続いて、今日もいたゞき物。郷里の従兄から、名産保存食の詰合せが届いた。

 ヤマト運輸の配達担当員氏とは、心安く口を利き合う間柄で、なにかと気を遣っていたゞいている。あのジジイ、まだ寝ていやがるだろうからと、午前配達の品が舞込んでも弾いて、夕方か夜に配達してくださる。が、彼についてはすでに、いつだったかの日記に、書いたことがある。
 「連日でお手数ですね。同時にやって来るようには、できないもんでしょうかねぇ」
 「この時期は、しかたないですよ。お気になさらず。まかせてください」
 自信に溢れた笑顔である。冷凍・冷蔵ボックスを連結した、いわばリヤカーを引っぱるような恰好で、頑丈そうな自転車を乗り回している姿を、往来で視かける。誇り高いのだろう。私にも、あんな表情で仕事に汗をかいた齢ごろが、あったのだろうか。

 従兄からは、私の口に馴染んだ、毎年同じ詰合せが届く。昨年今時分の日記をスクロールすれば、似た写真が出てくることだろう。
 味噌漬け専用の味噌は、具をすべていたゞき了えてから、味噌汁やぬたに流用しても、あまり巧くゆかない。たしか書いた。
 日本海の「もぞく」は太平洋の「もずく」とは、色も歯応えも異なる。べつの食物と称んでも好いくらいだ。これも書いた。
 塩辛はその昔「鯛の子塩辛」と称んでいたが、商標と中身の相違についてやかましく指摘される時代となってきて、ある時期から「鯛の子印の魚卵塩辛」となった。これも書いた。
 鱈の身とタラコと昆布とを甘酢に漬けこんだ「親子漬」はことに美味だが、味の決め手は生姜である。生姜こそが、この商品の命だろうとは、これもすでに書いた。

 要するに、同齢の従兄と私とは、お互い持病や体質の弱点を飼い馴らしながらも、また一年どうやら生延びたねと、近況を報告し合い、確認し合ったのである。したがって、やゝ思案したが結局礼状には、昨日ながしろさんに宛てたお礼状と同じ言葉を書いて、投函した。
 平穏への感謝と申すべきか、感情の動きや反応が画一化してきた老化現象の顕れと申すべきか。

 一昨日のこと、いつも野菜を送ってくださる大北君から、別件のメール来信があった。共通の学友である有道君と連絡が取れぬが、消息を把握してないかとのお訊ねだった。べつの学友が有道くんに電話したところ、現在使用されてオリマセン状態だという。彼はパソコンも使わない。交友ありそうな学友間に、消息問合せの連絡が回っているそうだ。
 有道君は酔った勢いでふいに電話を寄越しては、無邪気な昔ばなしに興じたりする。そういえばこゝしばらく来電がなかった。こちらからも連絡していない。

 有道君は私同様、独居老人だ。若き日に持病を得た不運もあり、しかも私と同様で文学なんぞにうつつを抜かしたばかりに、家庭をもたずに人生の大半を余生のように過した男だ。ひと口に申せば、かつての学友や仲間うちで、私ともっとも似かよったところのある男である。
 温厚にして争いを好まず、軽妙にしてユーモア感覚あふれる人柄で、友人間で人気のある男だ。そこは私と対照的だ。
 その彼が今、音信不通だという。たんに電話料金未払いによる回線不通話じゃねえのと、かつてであれば軽口のひとつも叩かれるところだが、お互いこの齢になると、そうそう軽視してばかりもいられない。
 かといって、いかに立ち回ることが有効なのか、私にはとんと判らない。いたずらにやきもきするばかりである。そして自分は知友間への消息連絡を怠らぬよう、せいぜい日記を書き続けるしかない。