一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

アンカー


 最後に持場を離れた生命の噺。

 大北君からいたゞいた里芋のおよそ半分を、見よう見真似のヤマ勘で煮っころがしにしたら、思いのほか食べられるものに仕上って、このぶんなら残り半分も煮っころがしにしようかなどと、暢気なことを考えたのがつい数日前のこと。実行に移さずもたもたしているうちに、続便で今度はじゃが芋をいたゞいてしまった。
 少しばかり送りました、との前日メールをいたゞいたので、ほんとに少し送ってくださったのかと思いきや、さようではなかった。畑に立つ身にとっての「少しばかり」は、台所に立つ身にとっては「十二分な量」である。が、じゃが芋ならば心配ご無用。食しかたはいろいろ知っている。

 里芋の残り半分は後回しにして、まずはじゃが芋の第一陣をとばかりに、いくつか選んでサラダボウルで水に浸けた。芋類は段ボールのなかで古新聞に包まれた姿でやって来るが、うっすらと土をまとった状態だ。古新聞の上には、土埃にも似たきめ細かな土が少量溜っている。サラダボウルの水にも視る間に色が着いてゆく。指先でこするように洗ってゆくと、芋は視違えるようにきれいになった。水は透明度を失い泥色に濁る。
 うっすらと土をまとっている理由は、そのほうが芋の鮮度が保てたからだろう。人間の眼には埃とすら見えるほんの微量な土にも、無数の微生物が棲息していて、役立ってくれていたのだろう。芋にとっての自然状態に少しは近い状態を、保持してくれていたにちがいない。

 畑土のなかでは、芋は天文学的多数の地中微生物たちと共存していたろう。収穫時にそれらのおゝかたと切り離された。乾燥作業のなかで、芋にまとわりついていたわずかな土の半分は脱落していった。残った半分のさらに半分が選別や荷造り作業のなかで、そしてその残りのさらに半分が宅配荷物のなかで、古新聞の表面に脱落していったのだろう。私の眼の前に姿を見せた芋は、長い旅路にも、乾燥にも衝撃にもへこたれずに、しつこくしぶとく最後までまとわりついていてくれた、いわば芋にとっての生命維持微生物のアンカーたちに包まれていたのだろう。
 それを私は水で洗い落す。大北君の菜園の土すなわち地中微生物のほんのわずかが、拙宅の流しで最終の役割を了え、生命を了えた。

 私の煮ものにも炊き合せにも、たいていは人参が登場する。相手が雁もどきやこんにゃくだろうが、鶏肉や豚肉がやって来ようが、まず野菜軍の先頭バッターとして人参がお相手する。が、人参抜きだとどうなるのだろうかと、今回ふと気紛れが起った。
 椎茸と油揚げ。役者に不足はない。第一回目は芋の味を少しでも強く残そうか。出汁は弱めに、酒と砂糖はそのまゝ。醤油は気持少なめ。それだと頼りない味となりそうなので、生姜と鷹の爪を加える。

 たしかにじゃが芋評論としては申し分ない煮ものができた。が、飯のおかずというよりは、じゃが芋を主食として食べてもよろしいほどだ。これは考えどころである。やはり昔から玄人の料理人さんがたが教える「煮物は甘め辛め」に戻すべきか。醤油を利かせて、味をこってり出して「ご飯が進む」味のほうがよろしいのか。しかし老人の塩分過多対策はいかなることに。
 それに、これはまったく私の好みの領域だが、やっぱり人参があったほうがよろしかろう。考えは往ったり来たり。
 NHKラジオ深夜便」が続いている。アナウンサーとキャスターとアンカーとがいらっしゃるのは、どういうわけだろうなんぞと考えながらも、また迷う。