一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ほどよい

ほどよいご馳走。

 実弾! 独居自炊者には、けっして無駄にならぬ贈り物。

 従妹ご夫妻は東京郊外で、親の代からの歯科医院を開業している。私から視れば、母の弟ご夫妻の、お嬢さんと夫君だ。叔父は自作農の次男坊だったし、私の父も自作農の三男坊だったから、ともに戦後の東京へ出て自活する途を選び、以来親戚付合いが続いてきた。叔父と義叔母、従妹と夫君の四人とも歯科医という、いやはやまことにもって歯科医家族である。
 早逝の叔父、次にわが母の順で他界し、血縁の糸はかすかとなったが、家の縁は途切れることなかった。続いてわが父が死に、ついに先年、長命だった義叔母が他界して、血縁も義理も含めて姉弟関係は消滅し、従兄妹関係が残った。格別の催しや出来事でもないかぎり、日常的に往来する機会もないが、親戚うちになにごとかが発生したさいには、相談したり情報交換したりする間柄である。日ごろ無沙汰がちの詫びに、盆暮れの挨拶だけは交換している。

 従妹は幼少時から、お澄ましさんお洒落さんの少女で、果せるかな長じては折り目正しき貴婦人型の女性歯科医となった。取合せの妙とでも申そうか、夫君は包容力とユーモア精神の人で、はた目からは火の打ちどころなきご家庭である。
 ご夫妻いずれのお計らいだろうか。ものぐさ侘住まいの当方を慮ってのお品をご恵贈くださる。世間の狭い私なんぞが視たことも聴いたこともないほどに珍らかな品ではない。かといって地元商店街とスーパーでしか買物をせぬ身には、こんな機会でもなければ触れることもありえぬ、ちょいとした贅沢品だ。
 ほどよい距離感のほどよい進物と感服し、いつもありがたく頂戴している。

 ときに、府中だの調布だのといった地名がある。調布市には国領との町名もある。律令制下に国府が置かれていたのだろう。地方自治体の官庁街だ。不案内の私が駅名から空想するだけのことで、詳しく調べればまだまだ所縁ある地名が残っているはずだ。
 調布の「調」は租庸調の調だろう。布や綿ほか産物をもって納税するさいの、管理所か倉庫か集品拠点かなにかがあったのだろう。国領は中央政府直轄の、いわば国有地ででもあったろうか。

 拙宅近隣に上落合、下落合なる地名がある。そこから私鉄に少し乗ったあたりに、上井草、下井草、上石神井、下石神井がある。
 あれェ、皇居から遠いほうが上かよォ。若者の素朴な発言に、ぎょっとしたことがある。府中に近いほうが上であり、遠いほうが下である。武蔵の国の地名はそうなっている。
 ある時期から、地方出身の官吏たちが経緯に暗い新流入東京人の便宜を考えて、地名をどんどん変更してきた。もっとも多用されたのが、有名な地名を残してその頭に東西南北を付ける方法である。わが学生時分、たしかに上高田、下高田といってもピンとこない地方出身学生にも、西早稲田早稲田町早稲田南町その他のほうが解りやすかったろう。
 角筈、三光町、新田裏、大木戸なんぞより、西新宿、東新宿のほうが解りやすいかもしれない。由来を無視してしまってかまわぬのであれば。

 まことにさようか。わが近隣に東長崎という私鉄駅がある。東西に細長い旧長崎村の西のはずれに位置している。つまりは長崎村の東寄りという意味ではなく、九州の長崎に対して東国の長崎という由来だろう。
 沿線の彼方には東久留米、東村山、東松山などもあるが、似た由来だろう。さらに沿線奥には高麗(こま)という、渡来人ゆかりの駅名もある。遠い昔に西国から移り住んできて、開墾し村を拓いていった先祖たちによる命名の名残だろう。これらを西早稲田東新宿と同列に扱ってよろしいのだろうか。

 比較的近年のことだが、田無市保谷市とが合併して、西東京市となった。東京なる地名が、もともと京都に対して東の都という意味でしょうに。いつの間にか馴れっこになって、「東京」が動かしがたい固有名詞化したために、今度はその西寄りの市ということになった。都の東なんだか西なんだか。いやはや、この言語感覚……。