一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

幕を降ろす


 山を越えるということがある。幕を降ろすということがある。

 缶、瓶、ペットボトル、発泡スチロール。資源ゴミ出しの朝。年内最終の回収日は来週だ。しかし突発的になにが起きるか判らない。なにせ不規則生活、回収時間に眼覚めていない危険性もある。今朝出しておけば、最悪の事態は避けられる。
 暮しの細部を視直すことで、資源ゴミの内訳も変ってきた。ペットボトルはめっきり減った。麦茶も珈琲も紅茶も、一日分まとめて沸して、ガラスポットに収めて冷蔵するようになった。カルピスも同様だ。料理酒や醤油のリットルボトルがたまに出る程度だ。
 瓶も減った。酒量が減ったからだ。熱燗は 1,5 リットルの徳用パックからだし、ウイスキーボトルはめったに視ない。辣油の小瓶など、そうそう出るもんじゃないし、調味料類はすべからく袋詰めお徳用商品だ。
 缶は減らないが、内訳が変ってきた。缶珈琲・缶ビールがめっきり減った。代りに魚類の缶詰が増えた。茹で小豆の缶はあい変らず多い。
 発泡スチロール類も減らない。一日一パックの納豆があるし、小さな加工食品類もある。ワサビ漬だの小肌の酢漬だのだ。台所時間を確保できぬ日には、スーパーやコンビニの弁当で間に合せる日もある。いたゞき物が発泡スチロールの舟に収まっている場合もある。我ながら律儀に分別するほうだ。

 三軒先のゴミ収集コンテナまで歩くと、道路脇の落葉が気に掛る。ほとんどが拙宅の老桜の葉だ。とはいえ、落葉の最盛期は過ぎた。枝に葉はもういくらも残っちゃいない。桜樹との今年の付合いも、ほゞ幕引きだ。
 ご近所が起き出していらっしゃらないうちに、ざっと掃いてしまおう。例のごとくスコップを持出して、玄関周りのまだ掘り返していない場所に小穴を掘る。落葉を埋めて土に還すつもりだ。狭い敷地内でのくわだてだ。残るスペースはいくらもない。玄関から門扉までの跳び石の両脇ほとんどには、すでに枯葉が埋っている。死体なんぞ埋っちゃいない。

 穴が掘れたら箒と塵取り。雨の日を挟んで三日ぶりだ。風が強かった日もあったらしい。左隣の空地の道路脇はいつものことだが、一軒措いたお隣のベーカリーの前まで、枯葉が達している。右側の拙宅塀ぎわも、お隣のコインパーキングの前も、人目の少ないうちに、さっさと済ませてしまおう。
 それさえ済んでしまえば、やれやれ、あとは門扉前の拙宅コンクリスペースだけだ。人通りの邪魔にもならぬし、どなたのご迷惑にもならない。ゆっくりのんびり箒を使える。広くもない場所だが、なにせ三日分だ。いちおう枯葉の小山にはなった。ムキになって穴を大きくし過ぎたかとも思ったのに、なんのなんの、穴に詰めた枯葉を地下足袋の底でそうとう踏んづけねばならなかった。

 カラカラに乾燥させたまゝそこいらに放置してあった枯枝を少々足した。一昨日炊いたカボチャの種子とワタ、玉ねぎの頭と尻の切落しなど、生ゴミを少々。地中で少しでも早く発酵分解して欲しい。
 ご近所どなたも出てみえぬうちに、どうやら作業を了えた。ふだんは私が一番ずぼらだ。しかし極端な不規則生活につき、私が先頭になることもある。いや違う。正確に申せば、ご近所の起床時に、私は就寝前なのだ。
 本日もさようだ。なぜ就寝前かと申せば……。後年振返って、あゝあの日だったかと想い返すべく、記念写真を一枚添えておく。