一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

あんぽ柿



 またも頂戴もの。今回は、ご近所の奥さまから。

 蜜柑に餅に、無添加製法の沢庵漬にあんぽ柿。年越しから正月へかけての即戦力がズラリと。ありがたい。
 蜜柑は皮まで使ってしまうし、ヘタなどの余りは刈草とともに地中に埋めてしまうから、ほとんど無駄はない。包装袋や包んでいたゞいたラップが残るだけとなるだろう。
 惜しむらくは、こういうものをいたゞきながら、ウトウトする炬燵が拙宅にはない。いや押入れの奥に押込んだまゝ、何十年も引出していない。点けっぱなしにしておくテレビも、十年以上使っていない。遺憾とするが、方針変更する気もない。今や第二の読書スペースと化した台所にて、年代ものの電気ストーブを前に頂戴することとなろう。


 干柿、ころ柿、吊し柿は、柿そのものと一緒に、秋の季語とされている。紐に通されて軒下に吊るされる光景は、晩秋の風物ということだろうか。さようとも申せようが、私一個の連想では、軒下の吊し柿は寒風とか冬空と結びつく。柿、柿の実が秋なのは当然としても、もしや干柿は冬に分類されていはせぬかと歳時記をめくってみたが、柿関連はすべからく秋の季語とされていた。なるほど、そういうもんですか。

 他の果実類と較べて、柿はとび抜けて古くから日本の果物だった件は、以前に書いた。柿の甘さと和菓子の甘味との間には、伝統的に厳密な関係があると。
 ところで在来種はおしなべて渋柿だったそうだ。渋抜きの技法が発達したのは、鎌倉時代になってからだという。その後いかに品種改良したものか、甘柿が登場することになった。先祖が柿を研究してきた歴史には、どうやらなみなみならぬ経過があるらしい。
 実験と長年の経過観察を経てようやく実現した、改良品種の苗や接ぎ木技術を、平気な顔して盗んでゆく輩は、そんな時代にもあったのだろうか。

 ところで、いたゞいたあんぽ柿は福島県伊達市の特産品。パッケージの裏を返すと、伊達市ドコソコにお住いのナンノナニガシさんお手製と、明示されてある。もう一度表を返すと、放射線量測定済みのシールが貼られてある。QR コードが印刷されてあって、スマホをかざすと線量計測数値が明示されるそうだ。
 世の中は、時代は、かようなことにとなっているのか。あらためて己が無知に溜息が出る想いだ。が、時代遅れを取戻す意欲までは、湧いてくるに至らないけれども。スマホを持つ気も、むろんない。

 今日ありがたい年越し食物をくださったかたは、職業をいくつお持ちかというスーパー奥さまで、東日本大震災後はいく年にもわたって、夫君ともども居を東北に移して、支援活動に回られた。被災直後の移動図書館やメンタルケアに始まって、趣味や技芸をとおしての婦人会組織や共同体復興など、岩手・宮城・福島三県に次つぎご転居された。その当時の各地元のかたがたとの固い絆があって、今も季節ごとに各地からの名産品が届く。で、なんのお役にも立たなかった私までが、お裾分けに与るという、なだはだ面目なき次第が続いているわけだ。

 その奥さまから、今日はもうひとつ教わった。近年、お身内を亡くされたかたから「家族葬にて済ませました」とのお報せをいたゞく機会が増えた。また著名人の死亡記事で「密葬にて済ませ、お別れ追悼会は別途」という文言も眼にする。
 家族葬とは、弔問客にご遠慮願って、内輪の顔触れのみの列席にて、通常の葬儀をとりおこなうことだそうだ。したがって祭壇も飾り、通夜も告別式もあり、導師さまにお経もあげていたゞく。
 いっぽう密葬とは、直葬(じきそう)とも火葬儀(かそうぎ)とも称ばれ、自宅なり病院なり臨終の場所にて懇ろに入棺されたうえで、火葬場へ直行する葬儀方法だそうだ。出棺時や火葬炉の前で、導師さまに読経をあげていたゞく。通夜も告別式もない。したがって祭壇飾りも生花の供えも不要だ。むろん菩提寺さまとは、事前の率直な打合せが必要となるけれども。

 なるほど、これも現代に合った考えかた、ひとつの方法であるには違いない。十五年ほど前に両親を送った頃にも、かような考えかたはあったのだろうが、実行することなど思いも寄らなかった。知っていたとしても、実行する度胸はなかったことだろう。今なら、それもアリかなという気がせぬでもない。
 老人の周囲でも心理の裡でも、時代は確実に推移している。