一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

餡まん作法

 肌を刺す冷えこみを覚えたときにのみ、買う気になる食品。私にとってそれは、肉まん餡まんである。

 この冬初めて買った。前回食べたのはいつのことだろうか。記憶にない。お気に入りのようにして、食べ切ると次を購入していた時期すらあったものだが。
 サミットストアにて、肉まん餡まん各三個づつ、計六個袋詰め五百五十円。税込みで五百九十四円。つまりおよそ一個百円というわけだ。

 蒸し器をガスレンジにかけずとも、電子レンジで簡単にふっくら仕上げと、袋に印刷されてある。それくらい私だって承知だが、昔からの習慣どおりに、鍋底に水を張り、穴あなの内張りを置いて鍋蓋で密閉した、代用蒸し器で蒸してきた。が、心境の変化。意地を張るにも及ぶまい。多くの皆さんがなさっていらっしゃるのだろうから私もと、初めて電子レンジを使ってみた。
 餡まん:一個なら三十秒、二個なら一分。冷凍状態からなら一個一分。
 肉まん:一個なら四十秒、二個なら一分二十秒。冷凍状態からなら一個一分二十秒。
 いずれも個別包装の透明袋に入れたまゝ。加熱終了してもすぐには袋を破かず、そのまゝ一分蒸らすことと、包装に指南書が印刷されてある。まずはメイカーご指示どおりに試みてみた。

 肉まんはほどよく蒸しあがり、ま、こういうもんだろうなとの感想。餡まんについては、肉まんより所要時間短く指示されている理由が瞭らかとなった。十秒短縮したところで、皮は肉まん同様に納得がゆく状態。が餡子は、不用意にガブリとゆくと、舌か口中を火傷しかねない。いわゆるフウフウが必要である。かといって、加熱時間を一気に短くしてしまうと、皮か餡の風味が立上らないのだろう。加減は実験研究の余地あり。

 まずは指南書どおりに加熱してから、蒸し(であり同時に冷ましでもある)時間を長くしてみてはどうか。四分間冷ましてから個別袋を破いてみた、三分延長である。
 餡子はまだ熱い。口中火傷ほどではないまでも、安心してガブリとやるには程遠い。それに引きかえ皮のほうはというと、早くも冷め加減。新鮮さに欠けるほどではないものの、アツアツホカホカと表現するには当らない状態となりかけている。個別袋の内側に水蒸気の雫が発生し、皮に染込むことも影響するようだ。
 かといって個別袋を早々に破いてしまうと、今度はもうもうと湯気が立ち、空気による冷めが加速する。しかも餡子の冷め速度は遅い。やはりメイカー指南どおりに加熱して、フウフウ状態で食べるべき商品なのだろうか。

 昨日午前と夜。そして今朝。すでに餡まんは食べ切ったが、いまだ定見を得ない。寝そびれて徹夜状態になってしまったのをよいことにして、サミットストア開店時刻を待って、六個入りをもう一袋買うべく出掛けた。買物メモに記入された料理酒や玉子、牛乳ほか、すべてビックエーで用が足りる。サミットストアまで足を延すのは、肉まん餡まん六個入り、たゞ一品のためである。

 かくして、開封後に大袋の口を閉じる用の小さな樹脂製留め具が、ふたつとなった。ひとつは今すぐに、もうひとつはやがて、日常の生活ゴミ袋に捨てる。
 分別という社会習慣が始まったころ、こんな小さな樹脂用具であっても、目ざとく分別したもんだった。二十年ほど前だったろうか、ある時期から、小さいものは一般生活ゴミの袋に捨ててもよいとの説が流布されるようになった。煙草や菓子類の包装シールなど、「プラ」と印刷されているにもかゝわらず、分別無用となった。
 私は考えた。あまりに細心なる分別は煩雑で不便と、利用者からの苦情が相次いだ結果の、妥協的措置だろうと。私ごとき暇人は正しく分別し続けたほうが、ほんのかすかとはいえ公共に益するのではあるまいかと。頑固にもまた酔狂にも、馬鹿正直に分別し続けたのである。

 ところがである。ある年にあるデータが報告された。区ごとにゴミ焼却施設が設けられてあるから、いずれの区のデータだったかは失念したが。
 高温焼却炉では、薄手の樹脂など難なく燃えてしまう。燃えるさいに高熱を発する。その熱がさらに、炉内の燃焼効率を高めている。ところが分別習慣が徹底浸透し過ぎたあまり、生活ゴミ中に樹脂系の不純物が少なくなり過ぎてしまった。その結果、炉内温度が上らず、燃焼効率に問題が生じてきたという。仕方なく当面の対策として、分別回収されてきた樹脂ゴミから、必要程度の樹脂類を炉内に放り込んでいるという。
 ナンジャラホイッ!

 私の頑なな性格を嘲笑するようなニュースだった。ご近所の奥さま情報のほうが妥当だったのである。私も小さな「プラ」は、生活ゴミとして捨てるようになった。
 肉まん餡まん六個入り袋の開封口を絞り留める、小さな樹脂用具も、断固として生活ゴミの袋に捨てる所存である。