一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

わきまえて



 ウワーイ、今度は海の幸だぁ。

 「つい今しがた、届いたばかりですの」
 一昨日、蜜柑と柿と餅と沢庵漬をくださったご近所の奥さまが、またお越しくださって、今度は三陸から海の幸だ。私の暮しでは、生の殻付きを手にする機会など、めったにない。以前に同じ奥さまから頂戴して以来の仰天感動である。まったく東北三県からの名産品集散地のごとき奥さまである。

 前回いたゞいたさいの日記では、遠い昔(中学生時代)地質部々員としての化石採集活動で、大ぶりのイタヤ貝を求めて、房総半島の地層露呈地へいく度も出掛けたことを思い出したと記憶する。学名をペクテン・トウキョウインシㇲ(ラテン語スペル知らない。通称:東京ホタテ)といった。より完全形に近い化石を索めて、眼の色を変えていた愉しい記憶だ。
 今日想うことは少々異なる。ホタテのいわゆる食用部分である大きな貝柱は美味しくいたゞくとして、身やヒモやワタがもったいない。どうにかできぬものかとの想いだ。寿司ネタになる赤貝のヒモとは比べようもないほど、硬くしぶとい。そこへもってきて、今の私にはろくすっぽ歯がない。歯が立たぬとはこのことだ。

 塩辛にする製法を知らない。未経験ゾーンだ。挑戦してみたい気もないではないが、これから数日ちょいと気を取られていることがあって、珍しいことに忙しい。
 仕方ない。鰹節を合せて、塩と酒とで、出汁を取るくらいでお茶を濁すのがせいぜいか。炊込みご飯を炊いてみても好い。出汁殻は枯葉枯枝とともに、地中に還してもよかろう。身の程をわきまえて、貝柱だけを美味しくいたゞくことにする。

 大ぶりなカキも一個いたゞいた。前回は、広島市在住の小説家と、市の繁華街である薬研堀から流川あたりをハシゴして歩き、美味しいカキをご馳走になったことを思い出したんだったか。小料理屋で今、カキを賞味中だというのに、
 「生ガキが好いだの、バターソテーだの、フライだのとおっしゃいますがね、浜で漁師たちが石油缶に火をガンガン焚いてましてね、そこで焼いてもらうカキより美味いもんはありませんよ」
 小説家の結論だった。
 「たゞね多岐君、真似しちゃあいけませんよ。爆発するように殻が弾けますからね。危なくって、とてもじゃないが家庭で再現はできません」
 つまりは私を羨ましがらせるための、噺のネタだった。

 前回、挑戦してみた。ガスレンジに魚焼きの網を置き、カキを置き、殻が弾けるのを予想して、金属製のざるを伏せ被せた。待てど暮せど、殻は弾けなかった。殻もざるも熱くはなったものの、中身は焼けなかった。家庭用ガスレンジでは、圧倒的な火力不足だった。
 仕方なく火から降ろし、いったん殻を冷ましてから、金ベラで底殻を外して、調理し直した。成仏させる手際が悪くて、カキには気の毒なことをしてしまった。今回は身の程をわきまえて、私にもできる方法でと考えてはいるが、さて、いかようにしたものか。