一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

磯賞味


 満喫した。

 一年ぶりのこととて、忘れてしまった。牡蠣の殻をいかにして開けるんだったか。たしか腹を上にして左手に持って、十文字中央のやや右上寄りに貝柱があるんだった。貝の右上から、右手に持った貝開けナイフを挿し込むんだった。そんな便利なナイフは持合わせないので、バターナイフを使う。今風の洒落た小ぶりなしろものでなく、昭和四十年ころから母が使っていた、素朴で丈夫なバターナイフを保管してある。これは貝開け専用バターナイフではなかろうかと思えるほど、うってつけだ。
 まず貝の腹に沿って、天井を斬る。柱だけでなく、奥まで斬る。蓋が取れるように貝が開く。次いで底がわ、貝の背に沿って柱を斬り、その他の身も外す。塩水で洗えば取出し完成だ。

 フライパンを十分熱したら、拙宅ではバターと称んでいるマーガリンを投じる。パンを傾けて溶けたバターが集ったところへ牡蠣を投入。いつ聴いても快い音だ。裏がえしたら、大島一彦さんから頂戴した白ワインがまだ底に少々残っていたから、杓文字に三分の一、つまり猪口に半分ほど振掛ける。一人前に一瞬炎が立ちかけた。両面生焼けになったら、醤油をわずかにたらす。耳かき二杯といおうか、目薬状態といおうか、ほんのわずかである。これにて完成。
 自家製の蜜柑ソース。嘘、到来物蜜柑の実と皮もろとも蜂蜜浸けして、昨日完成したばかりの名付けえぬ甘味を添える。この取合せが絶品となった。

 同じ要領で帆立に挑む。柱のみきれいにして、これも大成功。
 ホタテの場合は、ヒモやワタが大量に出る。苦味や毒気が出ても詰らないから、黒い部分は外して、あとは湯を沸かして出汁を取る。鰹節と合せてみたが、鰹に負けぬ力を発揮した。
 冷ましてから器に移して冷蔵庫へ。明日か明後日にでも、なにか具を考えて、炊込みご飯を仕込む気分になっている。

 かくして、ピーラーで剥いたじゃが芋の皮と、二分した芋に面どりしたさいの紐状の芋糸と、帆立の出汁殻と、実と皮を使った蜜柑のへたとが残った。明朝にでも、穴を掘って、落葉とともに埋める。
 横浜郊外の趣味農園産の野菜くずと、三陸産帆立の出汁殻と、和歌山産蜜柑のくずとが、東京豊島区の土となる。お釈迦さまが云われたごとく、物質の総量は一定なのかもしれない。アインシュタイン博士の云われたごとく、エネルギーの総量も一定なのかもしれない。
 独り住いというのは、なにを想うも勝手気ままだから、こういうときは便利だ。