一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

フライング


 納豆のかわりに黒豆。目玉焼のかわりに伊達巻。イワシ缶かツナマヨのかわりに焼鯖かまぼこ。食卓は先行正月だ。
 正月といっても、大晦日の翌日。大晦日といっても三十日の翌日に過ぎない。屠蘇や雑煮で祝う必要もなき一人家族なれば、手配した食材が届けばどんどん開封する。

 二十八日の宵には、野尻組の若い衆が松を届けてくれる。門扉左右の松一対、玄関用玉飾り、神棚用の注連縄、そして気や水の出入り口に漏れなく祀る裏白の輪を十本ばかりだ。
 例年の、そして日ごろ顔馴染の若い衆とは別な人が届けてくださった。少し世間噺してから、とどこおりなく品物を受取り、代金と祝儀も済ませた。頭によろしくお伝えをと、一本持ち帰っていただく。
 暗いなかだったが、松と玉飾りは即刻済ませてしまった。えらく寒かった。明朝あたり、鼻水が出るかもしれない。葛根湯を一包、服んでおく。寝る前にもう一包服むつもりだ。
 宅内あちこにに引掛けたり貼りつけたり、個別の細かい事情が生じる裏白の輪は、明日のこととする。

 つい眼と鼻に住まいながら、日ごろ無沙汰がちの頭にお届けの一本は、数日前に入手しておいた。ついでに私の分も。
 どちらがどちらかは一目瞭然。自分用のほうが容量は多い。むろん値段は逆だが。そして申すまでもなく、こちらも自分用はすでに開封済みとなっている。
 午前中に散髪を済ませ、宵には松を済ませた。なんぞと申せば、さも早手回しになにごともちゃくちゃくと進めているかのごとき云い草だが、じつはさようではない。間に合っているのはそこまでで、恥かしながら、実情はその逆である。

 年賀状をまだ投函し了えない。第一陣として、予定の三分の一ほどを投函できたばかりだ。
 今年限りで年賀状を失礼します、との趣旨の賀状を、昨年はいく枚か受取った。その後の機会に、同じ趣旨を告げられた場合もあった。旧い知友には、この労力に耐えがたしとお感じのかたも多いのだろう。よく理解できるが、私はもう数年、続けてみるつもりでいる。極端な出不精となり、よろづご無沙汰がちのかたに対して、年に一度のお詫びの機会と思っている。
 したがって賀状打止めの意思表示をはっきりくださったかたには、当方からもご遠慮するが、私から賀状廃止を申し出た場合は、まだない。

 年賀状については、二十年来迷っていて、いまだに定見を得ない問題がひとつある。齢若き友人たちへの賀状である。つまりかつて「教え子」という立場だった人たちである。前年くださったかたには、当然お出ししたい。が、もしある年をもって多岐への賀状はやめにしようと判断されたのに、当方からの賀状が届いたりしたら、たいへん気まずい想いをなさるのではないだろうか。
 かつて担当教員の一人で聴講学生の一人だったという関係なんぞは、続けるも中断するも学生側の勝手であって、当方には選択権なんぞありえない。

 やむなく、頂戴したかたにお返事するように、遅れて投函することになる。極端な場合には、松が取れたころに先方へ届く場合すらあろう。
 すると今度は、先方は昨年もその前年も三が日到着にて出しておられるのに、当方ばかり薄情で、えらく熱が低いと、お感じになられるのではないか。多岐との付合いもこれまで、翌年から中止とご判断なさっても不思議ではあるまい。

 教員に限らず、年長とか目上といった立場に身を置かれたことのあるかたがたは、どうなさっておられるのだろうか。私がたまたまか、それとも皆さんご同様なのか、この件についての納得できる知恵を耳にしたことは、まだない。