一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

今風お洒落



 お洒落ないただきもの。いや、私が鈍感なだけで、現代の潮流なのだろうか。

 押詰ってくると、叔父から歳暮をいただく。今年は帝国ホテル・ブランドのカレー詰合せ、三種類各三食だ。
 初めて眼にするパッケージだ。既知の商品とどう異なるのだろうと気になって、説明書きをつぶさに読んだ。一個あたりの量が少ないのだ。チルド食品のカレーといえば、一袋に 180~200グラムが通常。ところがいただいた商品は 90グラム入りだ。半分である。さらに読んで、唸ってしまった。

 女性のランチなどで、大盛りのカレーはちと重過ぎるという場合もあろう。男だって、年寄りなら同様だ。またほかに主菜か副菜あって、ちょいともう一品欲しいという場合もあろう。小腹が空いて間食代りに、という場合もあろう。そんなときにどうぞ、と書いてある。
 またカツカレーに始まりカレー牛だの、ハンバーグカレーだの、ほかの料理と抱合わせにカレーが欲しい場合もあろう。そんな利用者様に最適、とも書いてある。
 なるほど時代はさようなことになっているのか。いつも空腹を抱えて、カレーと聴けばラッキーとばかりに、ガツガツ大食いが当りまえだった時代は、過ぎ去ったというわけか。
 時代の推移と利用者の心理を考察した、ニーズに沿った商品というわけだ。

 くださった叔父は、母の末弟で、ご夫妻ともご健在だ。むろんご両名とも私より年長でいらっしゃる。父方母方ともに血縁も義理も含めて、伯父叔父・伯母叔母は、この叔父・義叔母ご夫妻以外はすべて他界した。わが親戚の長老ご夫妻である。
 ご夫妻の略伝については、以前に書いたことがあるから詳細は省く。原子物理学の技術者ご夫妻である。壮年期に、連立ってのアメリカ合衆国暮しが長かった。二男一女もことごとく学力に秀で、ゆくゆくは一家五人して理科系学者かと思われた時代もあった。
 「叔父さん、それってともすると、困ったことなんじゃありませんかね?」
 「ええ、困ったことなんです」
 当の叔父貴ご自身が、さようお応えだった。
 その後さいわいにして、長男が民間企業の研究職に天下った。専門職ではあるが、とにかくスカラーシップとはだいぶ趣を異にする、ビジネスマンシップというものが世に厳然と存在すると、家族内で確かめられる状態にはなった。
 それでも一男一女は今でも突っ走っているらしく、アメリカへ行ったり、帰ってきたりしているようだ。

 詳しくは知らない。報告されたところで、私になんぞ理解できないだろう。
 私は親戚のなかでいかような位置づけにあるかと申せば、どのご一族にも一人はいる、困った変な小父さんという役どころだ。かのフーテンの寅さんの劣化版である。仏さまとは似ても似つかぬ「放っとけさま」である。
 正常世間の出来事に関する相談事は、まず舞込んだことがない。息子か娘がグレそうだ、芸術にカブレて道を踏み外しそうだ、という相談だけが寄せられてくる。どうしたらいいかと相談されたって、そんなもん放っておくほかないに決ってる。才能か勉強量か、どちらかにおいて自分が井の中の蛙だったと思い知るまでは、端からなにを云っても無駄だ。
 すると親は心配する。そうなってからでは遅い、当人も傷つくし人生にも出遅れると。そこまで云われたんじゃあ、私も黙っちゃいられない。傷のなにが悪いか、出遅れのなにが悪いか。子どもよりも親を説教する口調となって、こじれた事例もあった。
 さような私に、物理学者の生活信条や将来の展望を語られても困る。だから訊かない。先方も私になんぞに語ろうとはしない。

 そんな親戚長老から、ハーフサイズのチルドカレーが贈られてきた。次世代からの入知恵があったのかもしれぬが、時流に沿ったずいぶんお洒落な商品をいただいたと、悦びもひとしおだ。
 女性用でも間食用でも、プラスワン用でも他メニューとの抱合せ用でもない。お独りさま老人用である。