一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

中くらい


 丹後っていうから京都の北らしいが、普甲寺の上人ってお人は、とんでもなく西方浄土への憧れが強いお人でね。大晦日の晩、一人しかいない小僧さんに、手紙を託して、
 「いいかい、明日の朝きっとだよ、忘れちゃいけないよ」
 きつく言いつけたとさ。

 さて元旦、初鴉がカァ。あたりはまだ暗いや。小僧さんガバッと跳ね起きて、表へと回って山門を敲いた。「頼も~う、頼も~う」
 「はいはい、新年早々、どこのどちらさんでしょうかいな」
 「西方阿弥陀より、年始の使僧でございます」
 「な、な、なんと」
 上人さん裸足で跳出して山門を左右全開に。小僧さんを本堂へ招き入れ、上座に座らせる。うやうやしく押しいただくように、手紙を受取ったってもんだ。
 「なになに、そちらの世界はさぞや苦悩充満のことかと。早いとここっちの国へいらっしゃい。懐かしい面々うち揃って、待っていますよ……か。こりゃまた、ありがたやありがたや」
 新年用に着替えた袖が絞れようかというほど、感動の涙にくれたんだと。

 思い詰めるなら狂うまでとは、よく言ったもんさ。つね日ごろ、俗人檀家集を前にして、無常を演じるのが礼儀とされる身だからさ。みずからを祝うとなると、そこまでやるもんなんだねえ。

 そこへゆくと、こちとら眉の下まで俗塵に埋れて日々を送ってる身の上さ。鶴だ亀だと祝いの言葉さえ、口先商売の厄払い屋によるいつもの口上みたいで、そらぞらしくて聴いちゃいられねえや。からっ風吹けば飛んじまうような所帯だが、ボロ家はボロ家らしく分相応に、門松も立てねえし、煤払いなんぞ、これっぽっちもしねえや。
 それでも、雪深い山路をどう迷わずにやって来るもんだかねえ、新年はやって来るわい。あなた任せの春ってわけだ。

  目出度さもちう位也おらが春  一茶

一朴抄訳①