一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

山川草木


 妙専寺の鷹丸という十一歳になる息子はね、親元で修行中の小坊主さんだったが、この三月七日、うらうらと霞が立つような良い日和だったもんで、兄弟子の荒法師の供をして、荒井坂あたりで芹だのナヅナだのを摘んで遊んでたそうだ。
 おり悪しくこの好天に飯綱山あたりの雪解け水がどっと押出してきて、黒ぐろと逆巻く鉄砲水さ。板に蔓を巻きつけただけの橋なんぞ、揺れに揺れたことだろう。足踏みはずしてざんぶりと落ちちまった。
 「お助け~、お助け~」
 いく度か頭が見えたり手が見えたりして、叫び声も聞えたんだが、すぐに蚊の鳴くような声になり、やがて影も形も見えなくなっちまった。

 村の衆を呼び集めて、暮れかけるなか松明をかざして、手分けして捜索したそうだ。なんと一里も川下で、流れに突出した岩に引っかかっていたってさ。あれこれ介抱を尽しちゃみたが、残念ながら手遅れだった。
 小坊主さんの袂から蕗のトウが三つ四つ、こぼれ落ちたと。土産にすれば晩飯の膳の助けになるなんぞと考えて、いそいそと摘んだもんだろうなあ。これには、つね日ごろは鬼だってねじ伏せると威名とどろく、屈強な山仕事の連中も、うち揃って男泣きに哭いたってさ。

 急ごしらえの担架に乗せて村へ運び帰ったのは、日付が変ってからだ。動転する気をなんとか抑えて、今や遅しと気を揉んでいた両親だったが、松明と担架が見えるなり駆け寄るや、泣き崩れ、亡骸に覆いかぶさり、人目もはばからぬその半狂乱ぶりには、周囲の誰も手が着けられたもんじゃなかったとさ。
 ふだんは村の衆相手に、無常を説く身の上なんだけれども、いざ自分の肉親に事が起ったとなると、心の堰がぷっつり切れちまって、そんなふうになっちまうもんさねえ。
 朝には、笑い合ったり冗談言ったりしながら出掛けていったもんが、夜には物言わぬ亡骸となって戻って来る。視ちゃあいられねえ光景ってやつさ。
 九日が野辺送りだったからねぇ。もちろん、あたしだって棺の近くに連なったさ。

   おもひきや下萠いそぐわか草を
    野邊のけぶりになして見んとは  一茶

 とまあ、そういったことじゃあ、あるんだけんどもね。
 雪の下で、長ぁいこと辛抱してきた、蕗だのタンポポだのがよ。やれやれ雪解けだ、ようやく空が見えたわいとばかりに首を出して、晴れて明るい世の中を視回してみたとたんによ。人の手が伸びてきて、ポキッと折られちまったとしたらさ。草の身になってみりゃあ、鷹丸小坊主の両親と同じ悲しみなんじゃねえだろうか。
 だってよ、坊さんたちふだんから言ってるじゃねえか。山川草木悉皆成仏って。生きとし生ける物すべからく西方浄土って。そのあたりが、どうもねえ……。 

一朴抄訳②