一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

雲量

雲量ゼロ、電線豊富。

 「結構なお正月で」
 ご近所のお顔馴染と道ですれ違うさいの、今年の挨拶だ。

 十二月に二十三日から、東京には雨が降っていないらしい。その二週間、乾燥注意報も発令されつづけているとか。
 西高東低。典型的な冬型気圧配置が頑固に居座っている。日本海側は降雪。雪国に数えられる郷里ではあるが、今年は記録破りだという。
 太平洋沿いは好天つづきで、からっ風と乾燥冷えこみ。風さえなければ、午前中はのどかな陽射しに恵まれる。たいていはわが睡眠時間に当っているが、今日のように朝から歩き回る日もある。

 歩き回るといっても、近所の散歩・買物エリアだけだ。鉄道には乗らないし、次郎(愛用自転車)も長らく格納したままだ。
 神社では、今日もまだ初詣でのかたが、さすがに短くなったが十人ほどの行列をなしていらっしゃる。あえて三が日を避けて、ゆっくり心行くまで参拝したいかたがたなのだろう。お気持は解る。
 郵便局で用を足して、ダイソーでマッチだの筆ペンだの単三乾電池だの、細かい買物をして、あとは陽射しにおだてられるように小一時間、歩いてみただけだ。

 雲量ゼロだ。東京で快晴といっても、たとえ天心が青空だとて東西南北に首を回せば、どこかに雲が見える場合が多い。雲量二とか、三とか。今日はゼロだ。どこをどう視まわしても、雲の条も切れっぱしもない。
 小学生時分、ある男先生で、朝礼でも体育の授業でもやる気満々、大声で号令を掛けるのが大好きな人がおられた。軍隊から戻られてまだ何年も経ってないのだと、母から聴いた。人前で言っちゃいけないよと、固く口止めされた。
 その先生が、気ヲ付ケーッ、の前にまず空を眺め上げ、「本日の雲量サァン、よしっ」と自分に気合を入れてから、次に気ヲ付ケーッ、と来るのだった。本日の雲量ォが出たら次は気を付けだなと、生徒らは用意する心構えだった。
 組担任ではなかったから、その先生から良い影響も悪い影響も受けたとは思えぬが、空を視上げると雲量いくつと確認し、自分自身に云い含める習慣だけは、私に継承された。

 ご近所を歩いたところで、髪を結いあげた和服のご婦人など、一人も眼にしない。獅子舞の社中とすれ違うこともない。羽子板追羽根やバドミントンもない。むろん凧揚げも独楽回しもない。
 ジジイ、江戸時代の噺、してんじゃねえよと叱られそうだ。いいえ、今歩いてるこの町このあたりの場所で、私は実際に観ましたんです。
 広々した公園も原っぱもなければ、畑も河川敷もなくなった。視あげれば電線だらけだから、凧揚げはとうてい無理だ。おそらく今の子供たちは、凧の揚げかたもご存じないのじゃあるまいか。それよりもまず、凧が揚ったところで、なんの面白味も感じないのだろう。そんなことよりも、ゲームの達成ステージを上げることだ。ポイントを積み増しすることだ。
 それでよろしい。昔を懐かしむ気持は、ほとんどない。新しい美意識で新時代の娯楽を我が物にしてゆければ、おおいに結構だ。が、「それで生涯、押し通せればね」という気も、少しする。

 三日間というもの、大型量販店の総取りだった。今日からは、そうは問屋が卸さねえ。地元商店街の皆さんが、動き出すからねえ。
 川口青果店で、生椎茸とカボチャとブロッコリーを。高木電気商会で、一人用の小型電気ストーブを。
 嘘だ。じつはこの三日間に、サミットストアでもビッグエーでも、すでに買物をしている。というか、正月三が日だからって、普段と異なる暮しをした覚えがない。