一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

槍錆の嘆

西部古書会館、入口。

 昨日に引続き、組合主催の古書市。今日は高円寺の西部古書会館。昨日赴いた東京古書会館(駿河台下)の分館である。

 JR 高円寺駅にて待合せ。大学院生とその親友の会社員君、昨日も参加の三年生会長、そして私の四人参集。
 今日も下級生の参加はなかった。理解できぬではない。寒いなか、正月気分を切裂いてまで古本漁りに足を棒にするほど、まだ病に冒されてはいない。健康健全。その段階に留まって、佳き想い出を胸に、卒業してほどなく音信不通になってゆくのが、一般会員というもの。それはそれ。

 自分の愉しみだけでなく、他人の世話をし、私の助言などあてにせず自分で各地の古書店事情を下調べしては、せっかくの休日を費やしてリュック担いで足を棒にする。ドウカシテルそんな学生が、学年に一人か二学年に一人くらい出てきては、古本屋研究会を継承してきた。二十五年も。
 そういうドウカシテタ連中は今でも、大学祭だ忘年会だといっては仕事に都合をつけてくれて、なにかと現役学生を支援してくれる。なにもかも不足していた発足時を知る者もあれば、寂しかった時代を孤軍奮闘しのいでくれた者もあれば、中興の祖として会を伸長発展させてくれた者もある。
 現執行部を担う本日参加の大学院生も三年生会長も、将来のドウカシテタ連中候補だ。二人には、古書店巡りとは微妙に味わいの異なる、古書市通いという世界があることを、どうしてもお伝えしておかねばならない。


 ふだんよりも混んでいる。昨日の駿河台下もさようだったが、出品店さんがたも来場者さんがたも、本年初市とあってかどことなく表情明るく、会場全体に華やぎが満ちている。全員マスクに小声ではあるが。
 人群の景色は昨日同様だ。高円寺には、こんなにジイサン・オッサンがいたのかというような会場風景。
 同時に会場入りしても、どうしたって私のほうが若者たちよりも先に出てくる。当然だ。関心分野が限られているから、眺める必要のない棚の前で歩を停めることがない。寄合った各店さんで棚を分け合っておられるわけだが、視かけはたんなる棚の仕切りに過ぎなくとも、その縦仕切りが店と店との境目である場合には、左右の棚景色ががらりと変る。私の関心を惹く本が混じっている可能性がある棚とそうでない棚とは、ひと眼で判る。

 表へ出て、自販機で缶珈琲を買い、一服する。正午をわずかに回った。なんとも心地よい陽射しだ。
 今さらのように、道をはさんで会場を眺める。板の間へは、昔は入口で履物を脱いで上った。上り口あたりが脱ぎ置かれた履物で一杯だった。下足札の用意などないから、自分の履物を解りやすい場所に置く工夫もしたし、ここでの市へは目立つ色合いの運動靴を履いてきたもんだ。履物のまま上れるようになったのは、はて、いつ頃からだったろうか。

 庚申通りに小さく店を開けていた、女性向け小間物店兼業の古書店は、廃業していた。特色豊かな商店街を抜けて駅周辺に戻ってみると、高架下の大工事の煽りか、老舗都丸書店さんももう一軒の有力古書店も、店を閉じていた。
 南口へ回って、阿波踊りで有名なアーケード街の緩い坂をくだる。アーケードが切れて、南高円寺方向の新市街。老舗の古書店にシャッターが降ろされている。その先に、サブカル雑貨や古着や、いったいなんのご商売かと首を傾げるような個性的古書店がかつてあったのだが、廃業していた。つまりは、私の脳内の記憶情報が古過ぎて、役立たないのだ。

 時間が余った。荻窪に移動。南口の岩森書店さん、古書ワルツさん、竹中書店さんの有力三店が健在とは承知していた。若者たちに古書店を巡ったと実感してもらえるに十分な店ばかりだ。かろうじて責をふさぐ。
 例によって私は速い。ドトール珈琲店にて息をつき、一行を待つ。そして再会と散開。私は独り、西荻窪へ移動。本日の痛切なる反省。情報の錆びつきは古書店散歩の命取りだ。西部古書会館を眺めたあと、高円寺歩きが成立しないとなって、西荻窪へという場面が生じないもんでもない。確かめておこう。
 若者にはつねに人気の音羽館さんも、格調の盛林堂さんもお元気。旅の本専門の可愛らしい書店さんも健在だったが、古本屋研究会にお眼をかけてくださった花鳥風月さんと、もう一軒の有力店さんは廃業していた。
 西武池袋線大泉学園まで、バスが出ている。始発から終点まで、ゆっくり揺られながら、またも反省。私は錆び果てた。これからは必ず、グーグル検索をしてから出掛けよう。

 やっとわが町に帰ってきた。引きこもり老人としては、たいした散歩だった。とにかく古書会館での初市を若者にお見せする。この正月の目途だったが、やれやれ、不十分ながら了えた。
 ようやく正月休みである。いつもの店の、いつもの席で、正月といったら〆鯖と板わさでしょう。なにか?