ここいらの子どもたちに、こんな遊びがあってね。
蛙を生きたまんま、土に埋めちまってね、声をそろえて唄うのさ。
「ひきどのめでたくお亡くなりぃ、お亡くなりぃ。おんばく持ってとぶらいにぃ、とぶらいにぃ」
ってね、口ぐちに囃したてたかと思うと、埋めた上へ芣苡の葉を山盛りに盛り被せてね、ワァ~ッてなもんで、散りぢりに帰っちまうのさ。
「おんばく」も「芣苡」(フイ)も、オオバコのこったよ、念のため。「芣苢」とも書くらしいがね。
ところで『本草綱目』には「車前草」(これもオオバコだよ、念のため)の異名を蝦蟇衣と書いてある。蛙に着せる衣だってさぁ。
かと思うと、信州でもここいらから妙高あたりまでの方言で、オオバコを「がいろっぱ」と称んでいる。「カエル葉」が語源だっちゅう噺だ。
和漢おのずからに、似た心持ちってことかねぇ。あるいはかような取るにも足りない、子どもの戯れ唄にさえ、あたしなんぞが知る由もない、旧い古~い謂れだの伝承だの、影響だのっていう、いきさつがあったもんだろうかねぇ。
卯の花もほろりほろりや蟇の塚 一茶
ときに蛙の神通力のことだが……。大昔モロコシの国では、仙人に飛行自在の術を伝授したそうじゃねえか。本朝では天王寺へやって来て、大いくさのさいには一武将の姿と化して、とてつもない武勲を挙げたという。
今はおかげさんで、四海治まった天下泰平の御代だぁね。人も蛙も心持ちは和やかだ。勝手口にムシロを拡げてやってね、「福よ、福よ」と呼んでやる。ちょいと待たせやがるが、やおらそこいらの藪からノサノサ這い出してきてさ、人と一緒に眼を細めて涼んでいやがる。
その面魂はただもんじゃねえや。一句口にしたげな顔つきだぜ。ナニナニ、長嘯子の、虫尽し歌合せの判者に選ばれたのが生涯のほまれだって?
長嘯子って、あの木下長嘯子かい。北政所の甥っ子さんの。たしか若狭あたりの殿さんで、駄目殿だったが、歌はたいそうお上手だったお人だそうだが。その虫合せの判者? おまえ、ずいぶん長生きなんだねぇ。証拠? どれどれ。
ゆうぜんとして山を見る蛙哉 一茶
鶯にまかり出たよひきがへる 其角
おもふことだまつて居るか蟾 曲翠
稲妻に天窓なでけり引きがへる 一茶
ほんとだ。でもよ蛙どん、おかしかねえかい。蕉門十哲の宝井其角に、曲翠ってのは近江の菅沼曲水の別号だろうが。二人とも、あたしより百年前の句だぜ。いいんです? 長嘯子はさらにその五十年前ですからって……まぁねえ。
けんど、自分の句が、有名人二人の句と肩を並べているのは、気分の好いもんだねえ。それに虫だ鳥だ生き物だとなりゃあ、あたしの得意芸だからねえ。となりゃあ、こんなのもあるんだ。視てってくんねえ。
そんじよそこまでと青田のひいき哉 一茶
閨の蚊のぶんとばかりに焼れけり 〃
鵜の真似は鵜より上手な子ども哉 〃
どんなもんだろうか。わたしら葛飾派の系統は、蕉風とはだいぶ違うんだが。
おい、蛙どん。どこだい? いつの間に……。
一朴抄訳⑥