一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

初詣り


 遅まきながら、菩提寺さまへ新年のご挨拶。毎年承知のうえで、遅らせている。

 旧年歳末は、かなり押詰ってから一年のお礼に参上した。有力檀家衆の尻尾に、という想いだ。新年は松の内をあえて避ける。いち早く新年のご挨拶に出向かれるだろう有力檀家衆が、すべて済んでからとの気分である。
 昭和二十九年にこの町へ辿りついて、七十年に近いお付合いだけれども、先祖代々の檀家衆も多いなか、わが家など新参者に過ぎない。郷里から分墓を移して、正式檀徒の末席とさせていただいてはいるが、先頭切ってなどという振舞いは、慎むべきだ。

 母の命日は、平成十九年二月六日。来月は十七回忌である。
 例により、親戚に連絡を回しての法事などは催さない。遠方からお出掛けいただくのはご迷惑だろうし、関東在住の親戚にしたところで、それぞれご多用のおりから、母を偲ぶ催しが、なにがしかのお役に立つとも思えない。書状にてのお報せだけで済ませることにする。

 かと申して、法事をとり行わぬわけではない。参列者が私一人だというまでのこと。当日は本堂へも墓所へも参る。塔婆をお下げ渡しいただく。
 塔婆は二本。母の「十七回忌」と父の「追善」である。父の忌日には、逆となる。つねに二本だ。
 お塔婆料と、十分なことはできぬ身分ではあるがお布施とをお納めして、万端お願い申しあげる。例年とは少し異なる、本年の拙宅行事についての用事が、ひとつ済んだ。

 例月のごとく、本堂、大師堂、ミニ四国巡礼回遊路と、参拝を済ませる。
 春近し、絶好の日和だ。しだれ梅も白木蓮もつぼみが肉眼で確かめられる。母の法事の頃には、花が観られるかもしれない。花壇のように牡丹が集中して植え込まれてある一画では、苗の丈が伐り揃えられている。近くいっせいに芽吹くことだろう。
 灌木類の冬囲いは、一部取りはずされた。もしも寒がぶり返したりして、少々の雪に見舞われたりしてさえも障りを受けるような、敏感な奴や弱い奴の囲いだけが残っている。
 はてここにはなにが植わっていたんだったか。観慣れた場所なのに、思い出せない。