一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

生涯一尺


 高井郡六川って里にある山の神の森で、栗を三粒拾ったもんで、庭の隅に埋めておいた。芽を出して、艶つやしい若葉も嬉しそうだったんだがね。

 東隣が境界一杯まで、次つぎ建て増しするお宅でね、栗の幼木には陽も射さなけりゃ雨露の恩恵すらろくに届かねえ始末さ。つねに水不足なんだもの、ようやく一尺になるかならぬかで、年末を迎えちまった。
 雪深いこのあたりの風習でね、冬ともなれば、各家の屋根から降ろした雪をね、往来だろうが余所のお宅の庭だろうが、低い土地へは我先に積んでゆくわけさ。わが家の庭にも東から西から、南から北から、ひたすら雪が落しこまれてねえ。しまいにはどこへ行くにも、屋根より高い雪山越しに出入りするみたいになる。
 暮しに不便は誰も同じさ。水だ燃料だを運ぶにさえ道は必要。積った雪に階段だの坂だのが自然とできて、もともと庭だったところが愛宕山の上り下りさながらの、階段越えする雪山みたいになっちまう。

 そうして二月三月、陽気もようやくのどかになってきて、村内の命綱の畑には土が顔を出し草も芽吹いてくる。先を争うように、早咲きの花がちらほら見えてくる。そうなってもわが家の庭は、陽当りも悪いし、寒風の通り道さ。残雪に埋れたまんまだ。
 らちが明くのは、そうさなあ四月に入って、便所に紙下げ虫のまじない歌を貼るころ、つまり山鶯が折知り貌に鳴くころかねえ。なに、さっぱりお解りいただけねえってかい。そいつぁ面目もねえこって。

 紙下げ虫ってのは、便所の糞壺に湧く蛆虫のこってす。四月八日の仏生会に、甘茶で墨を磨って「ちはやぶる卯月八日は吉日よ紙下げ虫を成敗ぞする」って歌を書いて、便所の壁に貼るんでさ。いくらかでも清潔に、健康に過せますようにって、まぁご利益なんぞ期待できそうもないマジナイだがね。
 それから里へは降りて来ねえ山の鶯がね、自分だけは季節の到来を知っているぞと、自慢げに鳴くわけさ。

 そのころになってようやく、わが庭の雪もわずかになるから、除けてみるとね、栗の幼木は根元近くからポッキリと折れちまってる。
 あぁご臨終かと、人間なら思うところだがね、地中の根っこは命永らえていると見えて、しぶとく芽を吹いてくれる。やれやれ助かったと安堵して、愉しみにしているとね、ようやく一尺ほどに育ったころ、また雪さ。年々折れて年々芽吹く。今年で七年になる。
 花にも実にも恵まれぬまんま、それでもこの世との縁は切れねえと見えて、枯れ果てもせずに、生涯一尺の身で生きてるってわけさ。

   朝夕に覆かぶさりし目の上の
       辛夷も花の盛り也けり  一茶

 あたしもこの栗の木のようなもんさ。早咲き梅のように先頭切って生れた、長男だったんだがね、おっかさんが死んだときは三歳さ。二度目のおっかさんが来なさったのは八歳。やがて弟が生れた。
 早咲き梅も茨の遅生えに道を狭められ、鬼婆山からの吹きおろしに折られ折られて、晴ればれしい世界に芽を出す日なんぞは一日もないままに、五十七歳の今日を迎えたって次第さ。
 いやなに、これも因縁と思えば、苦しみなんざ慣れっこになったがね。

 取るにも足らぬ一尺まんまの命だったが、途切れずにきたのも、不思議といえば不思議さね。ありがてえと思わなくっちゃ、いけねえかもな。今さら辛夷に恨みもねえし、おのれを撫子と言張るつもりもねえや。
 それだってのによ、おのれの不運や不徳を、なんの悪意もねえ草木になぞらえるのも、バチ当りってもんだろうかねえ。

   なでしこやまゝはゝ木々の日陰花  一茶

一朴抄訳⑧