一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

貸し借り

横浜元町、霧笛楼。

 仏蘭西料理のレストランらしい。オリジナル洋菓子店でもあるらしい。むろん知らない店だ。豪華な菓子詰合せをいただいた。
 チョコレートが強調されている。濃厚なチョコクリームをたっぷり仕込んだ煉瓦型ケーキの外側を、さらにチョコで包んだ、ダブルチョコレートケーキは、初めての味だ。姉妹品のホワイトチョコケーキは、やや軽い甘さが上品だ。詰合せの彩りは、小分けにスライスされたフルーツケーキ二種類。片方のレモン味がもっとも気に入った。主役のチョコに引けをとらない。

 昨年夏に神奈川県に住む女の従姉が亡くなった。家族葬で済ませたとかで、ご連絡はいただかなかった。疫病禍のなか、お気を遣われたのだろう。師走に入ったころ、ご主人からの喪中ハガキを受取った。
 きちんとした職業に就き、ご家族もあり、お暮しぶりにいささかの不安もあるご家庭ではない。今さら香典もそぐわぬ気がして、あえてクリスマス過ぎまで日延べして、年末押詰ってから迎春用に、花を手配した。
 すると、書状に添えて仏蘭西菓子をいただいてしまった。かようなお気遣いは恐縮なので、あえて香典は包まず、花をお供えしたのだったが。むろん先様のお気持ちは十分に理解できる。そのうえで、むずかしいもんだなあと、改めて思う。

京都左京区阿闍梨餅本舗 京菓子司満月。

 京都左京区の老舗和菓子店らしい。支店は金閣寺のすぐ近くらしい。むろん行ったことはない。豪華な和菓子詰合せをいただいた。
 昨年もたいそう美味しくいただいて、詰合せの内訳についてこの日記で紹介した憶えがあるので、繰返さない。とにかく美味い菓子である。

 親しくしていた東京郊外に住む男の従兄が急死して、もう何年になるだろうか。心臓と大腸とで二度も救急車騒ぎを起した独り住いの私を、医師だった彼はことのほか気遣ってくれていた。みずからの病が発覚し急進行して床に着いてからも、自分はアイツ(つまり私)の身元保証人だからと、気遣ってくれていたと、没後奥様から聞かされて、改めて面目ない気持ちに沈まざるをえなかった。

 郷里を出て関東に住む親戚とは、お互いさまだからと申し合せて、中元歳暮のやりとりはしないことにしてある。だが一家の大黒柱を失って、急に夫人とお嬢さんがたの女性家庭となってしまったこのご家族だけには、毎年末にご仏前へのお供えをお届けしてきた。珍しいものでも高価なものでもない。ありふれた正月食品だ。迎春の手間をいささかなりとも軽減していただきたいと願ってである。
 これは歳暮ではない。仏前へのお供えだと、毎回のように申し添えてきた。にもかかわらず、お返しとして、珍しいものをいただいてしまう。むろん先様のお気持ちは十分に理解できる。そのうえで、むずかしいもんだなあと、改めて思う。

 芝居か映画で観たんだったか、小説で読んだんだったか。記憶している台詞がある。
 「あぁ、誰からも泣かれずに死んでゆくのって、むずかしいもんだなぁ」
 まったくだと当時も思ったもんだったが、今となってはよけいに想う。それどころか、もっと手前の困難がある。手前にあるだけに基本的で、よりいっそう難題だ。
 有形無形を問わず、心理的か物質的かを問わず、金に換算できるかできぬかを問わず、どなたに対しても貸しも借りも残さずに、自分の幕引きをすることは、なんとむずかしいことだろうか。泣かれも嗤われもせずに、「あ、そう」と私の訃報を聴いていただくことが、とてもむずかしそうだ。気が滅入る。