一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

稗史の力

佐藤洋二郎『偽りだらけの歴史の闇』(ワック、2023)

 五百年後にも、もし日本という国家が存続していて、日本人という国民が住んでいたとして、開闢以来もっとも長かった元号である昭和時代の事績として書き残されているのは、いかなる事項だろうか。
 第二次世界大戦の一部をなす大東亜戦争があったことは、残っている気がする。核兵器が炸裂した最初の戦争という記事も、残っている気がする。あとは、現代史の重要事項として、今容易に思い浮べられる事項とは、だいぶ異なった序列になっている気がする。

 法隆寺の大修理や、薬師寺の西塔再建が残るのかもしれない。それともスーパーカミオカンデか残るか青色発光ダイオードが残るか、天皇陛下人間宣言が残るか新幹線が残るか、私の力では見当もつかない。おそらくは意外な事項が残っていることだろう。
 見当もつかないのは当然だ。五百年後の哲学の基礎や信仰の対象が判らないからだ。したがって美意識の目処も政治統治形態も判らないからだ。どんな容姿の人びとがみずからを日本人と名乗っているかすら、確然とはしない。おそらくは人類学的分類において多様な人びとが、日本語を使う民として、日本人を名乗っている気がする。
 そしてその人びとが、その時代の日本語を駆使して日本史を編む。事項の軽重を判断し選択するのは、私たちではなく彼らだ。
 歴史はつねに、さように選択され記述されてきた。記述によって記憶され、信じられ、人口に膾炙してきた。

 この事態を、境界を接する異民族・異部族同士の侵略史に重ね、さらに同族間の愛憎内紛図に重ねて考えてみれば、書き残され伝承された歴史記述が史実を公平に記述したものだなどとは、とうてい信じられまい。
 史書に信がおけぬというのではない。歴史とは本来そうしたものだというまでのことだ。だから貴重だとも、面白いともいえる。

 佐藤洋二郎さんは、幼き日を宗像大社の地域に育ち、少年期を出雲大社の地域に過した。かくも離れた両大社にもかかわらず、建物の形も注連縄の形も、装飾や什器も、あらゆるものが瓜二つなのはなぜかと、子ども心に不思議だったという。長じて、全国の神社を、さらには離島を訪ねて歩くことを、趣味とも志ともされた。
 「佐藤の車で、連れてってもらうんだ。アイツはほんとに神社が好きでねぇ」
 わが先輩で小説家の夫馬基彦さんから、かつて聞かされた。夫馬さんは尾張一宮のご出身で、やはり神社にはなみなみならぬご興味をおもちだった。だがさすがの夫馬さんも、佐藤さんの熱と馬力にはついて行けない場面もあったそうだ。

 神社には、権力によって抹殺されたものたちの痕跡が残っている。縁起沿革に残る場合もあるが、その地に祀られてあること、その地形に祀られてあること自体が、なにごとかを証言している場合もある。それらを想像し、推理をつなぎ合せて、権力が編ませた正史には伏せられた事実を推量することがお好きなのだ。記述された権力御用歴史ではなく、事実に近い稗史(裏面史)を推量してみたいのだ。小説家としては、当然かもしれない。いや逆だ。そういう人だからこそ、小説家としてやってこられたのだ。

 蘇我氏によって伏せられた物部氏とはなんだったのか。藤原氏によって伏せられたその蘇我氏とはなんだったのか。新興武士団によって伏せられた天皇とはなんだったのか。秀吉・家康によって伏せられたキリシタン大名とはなんだったのか。
 神社縁起の読み解きによって培われた洞察力は、近現代にも援用される。薩長によって伏せられた幕府イデオローグとはなんだったのか。明治期絶対主義および軍国主義によって伏せられた近代日本とはなんだったのか。連合軍総司令部によって伏せられた日本とはなんだったのか。なぜ今、中国も韓国も日本に苛立ち、理不尽な嫌がらせをやめようとしないのか。

 佐藤さんの小説に感動できる読者はよろしいが、地味な人間像を抑制された表現で描き出した渋い小説としか読めなかった読者には、ことにお若い読者には、本書をお奨めしたい。稗史は正史よりはるかに面白く、しかも人間そのものに近いと、躊躇なく全身で主張する作家が、ここにある。
 これは歴史談なんぞではない。文体こそ老境に入ろうとする作家が囲炉裏端で語るがごとき口調を採用してあるが、お若い読者は油断してはならない。権力者、富裕者、栄達者、著名者、成功者、俗物反権力者、自称知識人、成上り文化人、小物犯罪者。それらが織りなす歴史など、所詮は時勢の都合で顕在化した泡粒に過ぎぬ、正史の登場人物であって、まことの人間史はその十倍百倍も部厚くどす黒い。ただし稗史(はいし)としてしか記述されないとおっしゃっている。危険な爺さんである。