一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

四五輪草

 


 亭主にうとまれて親元へ返された女がね、置いてきた子の初節句をひと眼観たくても、昼日なかは人の眼があらァね。

   去られたる門を夜見る幟かな  よみ女しらず

 子を想う心情ありありじゃねえか。冷血な悪漢の心をも溶かすってやつさ。どんな鬼亭主だって、その噂を耳にすりゃあ、ふたたび女房を呼び戻さずにはいられめえよ。

 なんてことねえ一瞬でも、子どもの姿は句になったもんだった。

   柳からもゝんぐあゝと出る子哉  一茶
   蓬莱になんむなんむといふ子哉   〃
   年問へば片手出す子や更衣     〃

 行く末を想像すると、なにをしても祝い事のようだったっけ。

   たのもしやてんつるてんの初袷  一茶
   名月を取てくれろとなく子哉    〃
   子宝がきやらきやら笑ふ榾火哉   〃
   あこが餅あこが餅とて並べけり   〃
   餅花の木陰に手うちあはゝ哉    〃

 句になってねえって? あぁそうだよ。毎日が嬉しくってならなかったんだもの。まんまさ。放っといてくれ。同業の先達がただって、似たようなもんさ。

   あゝ立たひとり立たることし哉  貞徳
   子にあくと申人には花もなし   芭蕉
   袴着や子の草履とる親心     子堂
   花といへも一ついへやちいさい子 羅香
   春雨や格子より出す童の手    東来
   早乙女や子のなく方へ植て行   葉捨
   折とても花の木の間のせがれ哉  其角

 親を慕い子を慈しむ気持についちゃあ、鳥獣虫魚に隔てがねえ道理が骨身にしみてこそ、句にも眼が啓かれるってもんさね。

   鹿の親笹吹く風にもどりけり   一茶
   小夜しぐれなくは子のない鹿に哉  〃
   子をかくす藪の廻りや鳴雲雀    〃

 これも同業先達の句を出しておこうかね。

   人の親の烏追けり雀の子     鬼貫
   夏山や子にあらはれて鹿の鳴   五明
   負て出て子にも鳴かする蛙哉   東陽

 あァ、それだってのにねえ。この世には残酷なことってのが、あるもんさ。

   貰ふよりはやくうしなふ扇かな  一茶

 先立たれた肉親を詠んだ句には、どうしても眼が行っちまう。

     子におくれたるころ
   似た貌もあらば出て見ん一踊   落梧

     母に遅れたる子の哀さに
   おさな子やひとり飯くふ秋の暮  尚白

     娘を葬りける夜
   夜の鶴土に蒲団も着せられず   其角

     孫娘におくれて、三月三日野外に遊ぶ
   宿を出て雛忘れば桃の花     猿雖

     娘身まかりけるに
   十六夜や我身にしれと月の欠   杉風

     愛子をうしなひて
   春の夢気の違はぬがうらめしい  来山

     子をうしなひて
   蜻蛉釣りけふはどこ迄行た事か  かゞ千代

 昔の身分あるお人だって、変りあるまいと思うぜ。うろ憶えだけんども。

   哀也夜半に捨子の泣声は
     母に添寝の夢や見つらん   よみ人しらず

   捨て行く親したふ子の片いざり
     世に立かねて音こそなかるれ 為家卿

   人の親の心は闇にあらねども
     子を思ふ道に迷ひぬる哉   兼輔卿

 あたしかい? すっかり元気なくしちまったが、句は作ったよ。折目節目にね。

     七月七日墓詣
   木啄のやめて聞かよ夕木魚   一茶

     さと女三十五日墓
   秋風やむしりたがりし赤い花  一茶
   露の玉つまんで見たるわらは哉  〃

     さと女笑貌して夢に見えけるままを
   どう追れても人里を渡り鳥   一茶
   蟷螂や五分の魂是見よと     〃

 垢抜けねえって? 田舎臭えって? いかにもさようだとも。承知さ。
 あたしが住んでる村ってのは、奥信濃黒姫山からだらだら下りの隅っこさ。夏の声を聴かなきゃ雪の全部は溶けねえ。そのくせ秋風が吹き始めりゃ霜が降りる。
 優雅な橘だって、この地へ来ればありふれたカラタチになっちまう。万木千草ことごとくが、どんな一等地から移植したところで、駄木駄草に変っちまうのを避けようがねえってわけだ。

   九輪草四五りん草で仕廻けり  一茶

一朴抄訳⑫