一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

原点



 五年ぶりに、あのバブリーダンスの動画が、ユーチューブで飛び交っている。あのダンス、といってお解りでない、もしくは思い出せない向きには、蛇足紹介も必要か。

 京都に橘高校吹奏楽部があれば、大阪には登美丘高校ダンス部がある。
 2017年の全国高校ダンス選手権において、関西地区代表の府立登美丘高校が披露した「ジュリアナ」は優勝を逃した。前年優勝校だったのが連覇を逃した格好で、残念な結果ではあっただろうが、その斬新なダンスを記念に残そうと、メイキング動画をユーチューブ配信したら、火が点いた。
 百万回再生に丸一か月は要さなかった。現在では、再生数一億回越えの動画である。誰が命名したものか(本人たちではないそうだ)、バブリーダンスと称ばれるようになった。

 同校 OG にしてダンス部コーチだった振付師の AKANE さんは回想する。
 ―― あの学年は部員が少なく、技術的に下手だった。というより未経験で入部してきた初心者下級生が多かった。基礎からトレーニングするには時間が足りなかった。いっそのこと、踊りにくい衣装を着せて、簡単な動きから最大の印象を引出す踊りにした。
 芝浦のジュリアナ東京や六本木の風景や、メイン音楽に使われた荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」などを、部員たちはむろん知らなかったはずだ。それに先んずるアン・ルイスなど、観たことも聴いたこともなかったろう。
 オリジナル衣装を手作りするについても、えーっ、ナニコレ状態だったにちがいない。燃えたのはむしろお母さんたちだった。ここはもっとこうせなアカンワ、せやせや、こんなんだったワ。

 その年のキャプテンでセンターを踊った彼女には、「登美丘のセンター可愛過ぎ」と、若い男子ファンが急増した。卒業後、伊原六花(いはらりっか)の芸名で女優になったと聴いて、まぁあの娘ならね、とは思ったものの、映画館で映画を観なくなり、テレビも観なくなった私は、活動についていっさい知らなかった。
 数年前に、舞台「ウェストサイド物語」の主役に抜擢されたにもかかわらず、コロナ禍により企画自体が中止になったとのニュースを耳にした。六花って、あの伊原六花か。突然私は、いろいろな場面を思い出したのだった。そしてウィキペディアによって、彼女がいかに多くの仕事をこなしてきたのかを知った。

 ユーチューブチャンネル「伊原六花の STEP&GO」を覗いてみれば一目判然、顔立ちも声もさっぱりした清潔感あふれるお嬢さんだ。浪花娘らしい朗らかさも豊かだ。かといって吉本興業系の芸人さんがたのような、必死で露骨な押出し感は皆無だ。舞台や映画のみならず、テレビのバラエティー番組からも座敷はかかるだろうし、人気を博してもゆくのだろう。
 だがそれではもったいない。彼女はミュージカル舞台女優の逸材である。忘れてはならない。全国大会レベルの各校ダンス部は、いずれもお遊びお楽しみではない。かなりハードな体育会系である。そこでキャプテンだった女性である。

 紹介はここまでで、さて「伊原六花の STEP&GO」が外部とのコラボ企画第一弾として、かつての恩師 AKANE さん率いるダンシングチーム「アヴァンギャルディ」との共演動画を配信したわけだ。演しものはむろん、バブリーダンスに決ってる。
 「えーっ、今、踊れるかなあ。彼女らはずっと踊ってきてるでしょォ。わたしブランクあるしぃ」
 で、五年ぶりにこの踊りが、ユーチューブ上を飛び交っているわけだ。かつての動画も、まだいくらでも転がっている。五年間を一瞬にして跳び越えて、二本の動画を連続で視聴することもできる。感想は、ここでは申しあげない。