一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

想像力



 シリア料理店でデザートとして出されたお菓子だという。お裾分けとおっしゃって、お土産に頂戴した。

 ご夫妻で検索なさりながら語り合われたという。トルコ・シリア大地震への救助・復興支援の意思表示はできぬものかと。むろん赤十字をお使いになられたことだろう。大使館やら在日の両国人による民間機関なども、お調べになったことだろう。
 日本人に馴染み深い、かつ親日国として名高いトルコについては、さまざまな情報があっても、シリアについての情報はあまりなかった。せめてお国料理のレストランへでもと思い立って検索してみると、世界三大料理の一つとされるトルコ料理店は数かずあれども、シリア料理店はめったにない。

 比較的近隣では、池袋繁華街の隅っこに一軒だけ、シリア料理専門のレストランがあった。ご夫妻の凄いところだ。さっそく席予約の電話(だかメールだか)を入れたという。
 「酒類はお出しできませんよ」と、まず云われたそうだ。むろんご夫妻は承知している。トルコより遥かに原理主義的なイスラム教国だ。ハラール処理の済んでない食材はいっさいご法度だろうし、醤油ほか発酵調味料もありえないだろう。酒に通じるからだ。

 初めての訪店なので、コース料理を注文なさった。味付けや調理法の異なる何種類かの豆料理が出て、ケバブと称んでいいのだろう肉料理が出た。味は申し分なく、ご夫妻は満喫されたという。日本人のホール担当があれこれ説明してくれたそうだ。オーナーや料理長がシリア人らしい。
 お茶とデザートの菓子が出た。もう満腹だ。包んでもらった。「おみや」である。で、私へもお裾分けと、奥さまはおっしゃってくださるのだけれども……。
 おそらくは、奥さまのありがたい嘘である。かように珍しいものは、アノ爺さんが悦ぶだろうからと、わざわざ包ませて、持帰ってくださったにちがいない。ご夫妻に出されたティーカップの脇に、それぞれチョコンと添えられていた菓子がふたつ、今私の眼の前にあるのだろう。

 さよう、私はたいそう悦んだのである。カステラからしっとり水分を抜いた感じの、甘い焼菓子で、天にアーモンドが一粒載せてある。珈琲とともにいただいた。これは私の短慮だった。「こちらはスーパーで売ってるミントティーに過ぎませんけど」とおっしゃって、奥さまはペパーミントのティーバックを添えてくださったのだった。おっしゃるとおりにすればよかった。なるほど、珈琲より紅茶に合うお菓子だ。
 二個目は、そうやっていだだく予定。

 遠い国を襲った驚天動地の大災厄への支援の意思表示に、初めてのレストランへ向ったご夫妻に、頭がさがる。
 ご夫妻して岩手を振出しに宮城から福島へと、またも移動またも引越しと繰返しながら何年にもわたって、支援活動に過されたお二人だ。呆然たらざるをえぬ大災厄を前にして、人力がいかに無力であるか、毎日ご覧になったご夫妻である。それでも、各人の微小な動き出し × 人口アタマ数、という途方もない掛け算を繰返してゆくほかに復興の途はありえないと、一生涯分以上も噛み締められたご夫妻である。
 南東トルコとシリア北部での大地震、各国支援隊や国境なき医師団が現地入りするも、救助支援難航。そのニュースから、池袋の小ぢんまりした外国料理店を予約する想像力も行動力も、恥かしながら私にはない。