一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

愉しい時代

大河内傳次郎(1898 - 1962)

 いくらなんでも、伝わらねえわなぁ。

 NHKラジオ深夜便」に片岡鶴太郎さんのコーナーがある。ゲストを招いて語りあったり質問したりして、出演者の個性や私生活の一端が微笑ましく伝わってくるトークタイムだ。今回のゲストはダチョウ倶楽部さんだった。上島竜平さん他界で二人体制となって、さて今後いかに活動してゆこうか、昔馴染みの鶴太郎さんを相手にかなり切実な台所事情的話題も含まれたが、懐かしい思い出噺も多かった。
 肥後克広さんも寺門ジモンさんも六十歳だという。アラ還どころかピタ還だ。
 「ホントかい、ビックリだねえ。そういや俺も、六十八だもんねえ」
 「ええっ、鶴さん、すぐ七十に手が届くじゃないですかぁ」

 つるんで遊び歩いた三十歳代に、とことん真剣(?)に遊んだことが、今の自分を創ってくれたというような、有名人にありがちな話題も当然のように混じる。
 「よく騒いで、よく脱いだよねえ」
 「今なら間違いなく、撮られて拡散炎上ですねえ」
 「いい時代で、助かったよねえ、お互いに」
 永遠の今、と見える芸能界にあっても、この齢になれば「うたた今昔の感」を覚える心境なのだろう。

 自分で喋ったユーチューブ動画がアップされると、いちおう試聴するのだが、魂消ることがある。あまりの古臭さにだ。
 簡単な箇条書きメモしか用意せず、いっさい台本なしにブッツケで喋っているから、ついつい普段の喋り癖があらわになる。云い損ないなど、随所にある。よほどの事実誤認や、他人さまへのご迷惑が懸念されぬ限りは、訂正しない方針だ。未熟も拙劣も含めて私自身だと、居直っているわけだ。

 「戦後文学」と称ばれる昭和時代の文学についてお喋りをしていて、談たまたま長谷川四郎という小説家の話題となった。作品だけ紹介しておけばよいものを、作家の出自にまで触れてしまった。兄さんも異様な才能を発揮した林不忘なる筆名の小説家で、「丹下左膳」という片目片腕の天才剣士を世に送り出しましたと、ついつい紹介してしまった。
 「時代物大衆小説のベストセラーで、映画も人気を博しました。声や発声法がじつに特徴的だった大河内傳次郎という俳優が主役でしてねえ。シェイは丹下ニャはシャジェン、なんて云いましてね……」

 試聴して思い出した。たしかに云った。収録前はおろか喋りながらだって、おそらく一分前までは、さようなこと口にするつもりなどこれっぽっちもなかったのである。
 だいいち「丹下左膳」第一作の封切は昭和三年だ。その後いく年にもわたって十何作も撮られたとはいえ、私がオリジナル版を同時代に観たはずはないのである。ずうっと後年になってから、名画座の企画上映でまとめて観たに過ぎない。
 それよりも「ニャはシャジェン」は伝説的な名台詞として人口に膾炙し、声帯模写や漫才の芸人さんがたが常用する、なかば定型化されたギャグとなっていた。私が咄嗟に口にした台詞も、大河内傳次郎の台詞の写しではなく、それを定番ネタとしていた桜井長一郎さんの物真似芸が、喋っているうちに突如として脳裡に浮び出て、その写しを声に出してしまったのだった。
 いや、大河内傳次郎だろうが桜井長一郎だろうが、さようなことはどっちでもいい。いずれにせよ、ユーチューブの視聴者さんにとっては、西鶴か馬琴かというのとさほど相違あるまい。なにせ私自身が、試聴して驚いてしまったのだから。

 ある有名芸人さんが MC をなさるテレビ番組に登場した新人女優さんが、ネット上で怖ろしがられている。現今の、何十人も組みになってのアイドル集団をご卒業なさって、一本立ちの女優としてご活躍のお嬢さんだそうだ。むろん私は存じあげない。
 男性のお好みでも話題になったもんだろうか、大先輩俳優のお名が数名挙げられたなかの一人に、中井貴一さんが示されたという。「誰それ、しらな~い」との反応が返ってきた。さすがに MC の芸人さんも表情が引きつって、「よそで云わないほうがいいよ」と忠告なさったそうだ。他分野に生きるかたなら当然ありうる噺としても、女優業を名乗っておられるというのだから、これはたしかに怖ろしい噺ではないだろうか。
 ということは佐田啓二高峰秀子も、木下恵介小津安二郎も、まったくいけないんだろうなあ。

 えらい時代となってきたもんだ。大河内傳次郎なんぞとは、もってのほかである。とは申せわが胸の奥底に向って耳を澄ませてみると、私はさほど暗い気分でもない。むしろわくわくしている気味すらある。変な時代、奇妙な時代ということはとりもなおさず、愉しい時代、面白い時代ということではないのだろうか。