一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

異国の空



 どうにも意気が揚らないとき、ふと検索してみたくなる動画がある。

 ジョージ上川さんは、オーストラリアのメルボルンを拠点として活動するストリート・ミュージシャンだ。ギターを弾きながらヴォーカルとハーモニカ。左足でバスドラムの、右足でタンバリン・スネアドラム・シンバルのペダルを踏み替える。独りバンドのブルース演奏者である。
 物珍しさや好奇心から、ふと立ち停まった通行人のハートを確実につかむ力強い演奏スタイルと、誰にでも理解できる明るい話術で、ついには街の一画が多民族混成のオーストラリア人たちによるダンスの輪となる。

 以前はやはりメルボルン在住で、津軽三味線奏者の、只野徳子さんと「ジョージ&ノリコ」というユニットで、テレビに出演したりライブ営業に回っていた。とんでもなく魅力的なデュオだった。ノリコさんがアデレードに引越したらしく、最近はジョージさんのソロ動画が上っている。
 世界中の都市において同様だったろうが、疫病禍にあって通行人が足を停め、集り、歓声を上げ、踊ることは制限された。ミュージシャンのみならず、マジシャンやジャグラーやパントマイマーや、あらゆる大道芸人がたにとって、受難の時期だった。
 ジョージ上川さんも、その演奏実績が評価されて、街起しを企画するメルボルン市から認められた、いわばお墨付き「大道芸人」に数えられていたが、三十人以上ときには百人以上もの聴衆を集めてしまう路上ライブは、厳しく制限された。

 三重県桑名のご出身だ。ビートルズローリングストーンズに憧れる、その時代にもっとも普通の中学生だった。バンドを組んでいた兄さんから、ギターを教わった。
 日本を飛出して、海外で演奏活動すると意思表示したとき、お父上も兄さんも心配し、反対したことだろう。ニュージーランドでの演奏から始まって、カナダだろうがヨーロッパだろうが、祭にフェスライブの機会があれば、どこへでも出掛けて行った。ついにメルボルンに腰を落着け、そこを拠点とするようになった。多民族都市で、複合文化に寛容な都市だった。
 「ジョージ上川、日本人のソロ・バンドです。ボクの英語、通じてる?」 
 「お客さんがた、もう二歩前へお願い。せーのワンツー。メルボルン市から云われてんだ。通行人の邪魔するなって。さぁ踊ってください、照れていないで。あれっ、君オーストラリア人? 英語解らなかったかなぁ」
 開けっぴろげなトークに、通行人たちは沸く。ほぐれる。

 兄さんは郷里で、亡きお父上の工場を継いでおられる。弟からの音信が間遠になった時代があった。もっとも厳しい放浪の時代だったのだろう。近年は精力的な活躍の模様を、ユーチューブ動画で観られる。
 今もギターを弾く機会はありますかと問われた兄さんは、いやぁと笑って、イエスともノーともおっしゃらなかった。