一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

まぁお座りなさい


 まさに住する所なくして、その心を生ず。住するとは「こだわる、とらわれる」との意とか。視聴きしたところに素直に反応し、立ち停まらず、自然に移り行けという。お経のなかの文句で、禅語となっているらしい。

 谷川徹三は若き日、救いを求めようと親鸞に思いをいたした時期があったという。だが道元については、自分は深くを語りうる者ではないがと謙遜したうえで、正法眼蔵を自由自己流に読み愉しんできた愛読者として、初学者向けの紹介文を書いている。
 初出は一九六九年一月五日を皮切りに、日曜ごとの読売新聞に各回六枚ほど、四回連載された。幅広い読者向けの随筆だが、『こころと形』収録篇のうちの、ひとつの柱となっている。

 初学者にも解りやすい入口が二点示されるが、まず正法眼蔵における道元の言葉の、詩的センスが強調されてある。
 槎々牙々老梅樹、忽開華一華両華、三四五華無数華
 (ささたりががたり老梅樹、たちまち開花一華両華、三四五華無数華)
 幹はごつごつ、枝はぎざぎざ、梅の老木、ふいに一輪また一輪、あっという間に三四五……満開だ。
 道元を指して、開花する古木が「凛然たる中に清香を発するその人柄」のままではないかと、谷川はいう。さようなものかしらん。私にはまだ理解しかねる。色紙の揮毫を求められて、谷川はこの詞を書くことも多いという。

 もうひとつの入口は、修証一如の問題。修は修行、証は証会(しょうえ)つまり悟りのことだ。
 道元は仏法も人間をも、修行を重ねた挙句に悟りに達するものとは考えなかった。修行すなわち悟りと唱えた。また悟ったつもりでも、修行が止れば即刻外道に落ちると考えた。根柢には人間存在もその行動も、一瞬たりとも変化を止めることなく、猛烈な勢いで変容しつつあるといった、仏教特有の存在論と時間観念とがあるのだろう。
 そして修養とは躰も心もひっくるめた、人間存在全体の問題であって、心の保ちようの問題などではなく、ましてや理知的な思索の成果などではないと、わきまえられてあるのだろう。
 この点を、正法眼蔵のあちこちから魅力的かつ象徴的な短い語句を抜出しで紹介することで、谷川徹三道元への道案内としている。これなら誰にでも解る。ついつい正法眼蔵そのものを手に取ってみようかとの気にもさせられよう。

 修証一如については、こんな噺を耳にしたことがある。
 優れた東洋哲学者や禪研究家は、もちろんアメリカにもおられる。ソローによる湖畔での独居生活を仏教的心境になぞらえる論者もあれば、エマーソンに東洋思想との通底を視る学者もある。禪の歴史を調べ上げた高名な大学教授もおられる。
 在外研究や学術交流の機会に来日される。禪の大本山に直結した大学にて研究・交流しようと、多くは駒澤大学での交流を希望なさる。当然だ。駒澤大学仏教学部の教授がたは、文献を研究するだけのかたがたではない。大本山永平寺の高僧がたである。
 教養部に所属して下級生に外国語を教えている准教授や講師がたにも、頭の丸い人がいく人もある。なにを隠そう、相当な地位におられる学僧だったり、大本山の管長が世界宗教会議などで外遊するさいには通訳兼秘書として随行するかただったりする。

 さて全米屈指の禪学者である教授が、念願かなって駒澤の教授がたと対面する。が、いざ会ってみると、相手にならない。呆気にとられてしまうらしい。
 欧米の禪は、もともと鈴木大拙によって広められた臨済禪である。臨済では公案というものをする。作麼生(そもさん:さればお訊ね申す)、説破(せっぱ:おぅ、お応え申そう)という問答である。アニメの「一休さん」でやるやつだ。庶民の揶揄視線によって茶化されて、落語の「こんにゃく問答」にもなっている。詩的言語の応酬によって互いの腹を察知し合い、魂を練り上げてゆくことで、より高い心境にまで至ろうとするわけだ。背後には、修行を重ねることで、人は仏の境地にまで至ると想定されてある。

 ところが駒澤にそびえるのは大本山永平寺だ。曹洞禪である。只管打坐、経も唱えない。公案もしない。いいからまずそこへ座れ、となる。経典も公案も、準備運動くらいにはなるかもしれないが、そんなもの修行のうちではない。その場で、まず自分自身として在れと云われる。背後には、人は初めから仏、修行とはただ在ること、悟りとはやはりただ在ること。修証一如、とやられるわけだ。禪を学問なさってきた高名教授がたは、手も足も出なくなってしまうそうだ。
 この噺は、駒澤大学仏教学部のさる教授からじかに伺った。ほんらいさようなことは許されぬはずなのに、取材との名目で図々しくも対面させていただいた。ご長命で今もご健在。たいへん気さくなお話し好きではいらっしゃったが、あまりにご高名な名誉教授であられるし、私の理解したところなんぞどうせ未熟トンチンカンに決ってるから、ここではお名を匿す。