一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

『朝』

『朝』第44号(2023.3.)

 老舗の文芸同人誌『朝』の最新号をご恵送いただいた。過去になにひとつお返しめいたことをしたためしがない。じつに長い年月にわたってだ。まことに心苦しき限りだ。
 お返しする仕事が私になかったからだ。あればお返ししている。

 ずうっと昔のこと、『朝』の同人には宇尾房子さん、千田佳代さんら、パワフルな女傑小説家が顔を揃えておいでだった。もう一人の女流小説家である小川悦子さんと、私はそれ以前から親しくさせていただいていたご縁で、彼女らお姉さんトリオが私たちの同人誌にもご加入くださった。男所帯の理屈っぽい雑誌に、あでやかで色彩豊富な女性作家の小説が載るようになった。脂が乗って創作力旺盛だった姉さんがたは、両誌にかけもち所属してもなお、力あり余る勢いだった。

 その当時の『朝』には、佐藤洋二郎さんが毎号エッセイを載せておられた。
 「佐藤洋二郎さんをご存じ? あなたと同じ齢よ。ご紹介しましょうか?」
 ある日ご親切におっしゃってくださったのは、千田佳代さんだった。
 「機会がありましたら。お会いすべきかたなら、いずれどこかで出逢うことになるでしょうけれど」
 引込み思案でものぐさな私は、是が非にでもという反応をいたさなかった。そのとき積極的に踏出していれば、ずっと早くに佐藤さんと知合っていたろう。はるか後年になってから、実際に佐藤さんとはよく知る間柄になったのだけれども。
 思えば自分のこわばった性格が災いして、中上健次さんとも岳真也さんとも、立松和平さんとも荒川洋治さんとも、早くからニアミス状態にあったにもかかわらず、後年になってから口をきくようになったのだった。性格のほかにも、私がいわゆる「売れる」仕事をしないことも原因だった。当方には当方の考えがむろんあったのだが、今それは措くとして。

 『朝』はその後も、編集人や発行人や「書き盛り」を上手にバトンタッチさせながら、今日まで着実な歩みを重ねてきた。現在の発行人は村上玄一さんで、わが在職時代には講師控室と名付けられた楽屋で、よくご一緒したかたである。ベテランの出版編集者として学生を指導してこられたが、じつは小説家である。教え子さんがたはご承知だったかどうか。
 奥さまである万波鮎さんも、歌仙を巻くに長い実績のある俳人で、小川悦子さんを通じて、また眞鍋呉夫先生関連の催し事の場面などで、ご挨拶申しあげたことがある。ご夫妻ともども、現在の『朝』にあって中心的な書き手である。というより先輩世代に属するのだろう。
 今号の編集後記によれば、新世代の元気な書き手のあいつぐ加入もあって、新鮮な空気が流れ込んでいるようだ。まことにめでたい。

 さて四十四号である。出版人としての村上さんの自伝的回想『自慢風まかせ』が、やはり私にとっては面白い。連載がもう七回にもなるのか。ここまで来たら洗いざらい書き尽して、一書にまとめていただきたいものだ。
 綱渡りなさるように出版社や制作会社に身を移しながら、それでも人に出逢い佳き仕事を手掛けてこられた村上さんの歩みは、私の眼には眩しいようだ。ええっ、あの仕事も村上さんだったのか、と驚かされる逸話が毎回満載だ。

 同じ時代に私は、書店員から社名も覚えてもらえない底辺の零細出版社に身を置いて、午前は営業廻り、午後は倉庫修繕の大工仕事、夜は編集というような、半端仕事の暮しを続けていた。紙にも印刷にも製本にも、そりゃ詳しくなった。わがままな著者のご機嫌を窺って酒を飲むことも上手になった。若手大学人の第一論文集も、ずいぶん手掛けた。が、出版人としての仕事なんぞ、ほとんど残っちゃいない。気鋭の著者だって、第二論文集はもっと大手の出版社から出した。
 運不運の問題ではない。腕前の差であり人柄の違いだろう。村上さんの連載を拝読すると、そのことがよく解る。これが書籍出版というもんなら、俺が二十三年もやったのは、一体全体ありゃなんだったのかと、悲喜こもごもの吐息も出ようというものだ。
 書店廻りと大学巡りの出張で、汗みずくのワイシャツを着替えるのであれば、阪急沿線ならどの駅のコインロッカー、財布が空になった日に急遽著者接待する羽目になったら、岡山ならあの寿司屋。そんな腕前ばかり身に着けた。

 ときに『朝』今号の特集は「エロスあるいは戦争」。吉田喜重『エロス+虐殺』を連想させる、なにやらただならぬ特集だ。
 万波さんは小説欄にて、ロシア、ウクライナNATOアメリカ、日本、中国を、鼠、猫、犬、熊などに置換えた寓意小話を書かれ、特集欄にては、少女時代にご母堂から「銃後の婦人」について聴かされた記憶を蘇らせ、ただ今現在の「戦前的空気」にいら立たれた。
 村上さんは特集欄にて、戦争はいずれの国にも裨益しないと確認なさる。ただ勝敗の帰趨いかんにかかわらず大儲けする、世界にほんのひと握りの大富豪がある。戦争とは、そのひと握りの利益のために、双方が人口と財物とを無残に損耗する愚挙と位置づける。

 長い年月にわたって『朝』をタダで読ませてもらってきた読者として云わせてもらえば、がんらい政治社会評論めいた論説などお嫌いな書き手がたのお集りである。浪漫主義的傾向と申そうか、天然自然の雅致に感性を磨き、慈悲人情に人生のありようを眺めてこられた作家たちのお集りである。
 その『朝』にしてこの特集だ。編集会議では、よくよくの想いが交錯したのだったろう。今はそれほどの時なのだろう。読者はこれを、あだやおろそかに読むべきではない。