一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

眼と倫理

『文藝 臨時増刊 横光利一讀本』(河出書房、1955)

 デビュー前の若書き作品『悲しみの代價』が世に公表されたのは、昭和三十年に刊行された『文藝 横光利一讀本』だった。横光歿後八年後である。

 若き日の横光は、思い切って暮しを変えようとするさいには、なにもかも置きっぱなしにしたまま、身ひとつで家出でもするかのように引越してしまう人だったらしい。学生時代に前例があったとは、中山義秀が回想しているし、最初の妻が胸を患って他界したあとも、さようであったらしい。
 最初の妻は小説家小島勗(つとむ)の妹だったが、横光去った跡を片づけた小島も三十そこそこで若死にしてしまい、未亡人がその後長く、横光の若書き草稿類を所持管理していたという。横光歿後に、その価値や如何、取扱い方法や如何が川端康成に託された。眼をとおした川端は、『悲しみの代價』だけが、横光の資質や若き日の思索を窺う資料として貴重と判定した。
 ただし懸念があった。若夫婦の心のすれ違いが描かれてあるため、横光夫妻に材を採った私小説と読まれては迷惑と考えた。経緯や書きぶりから察するに、横光二十三歳か四歳、結婚前に書かれたのは瞭らかだ。まったき観念と描写力による作品であって、痛くもない腹ではないが、これを横光夫妻にあったなんらかの事実によると読まれては、後世の横光評価に誤りが生じかねない。
 川端が公表時期と舞台とを思案していたおりしも、河出書房から『文藝 臨時増刊 横光利一讀本』の企画がもちあがった。川端自身による、行届いた経緯紹介文とともに「未発表作品」として初公表された。

 貞淑と誠実について異様な潔癖症の主人公木田と、妻辰子の噺だ。夫婦仲は良好なのだが、辰子には無自覚なる媚態というか、本気でもなく男の気を惹いてしまう性格がある。そこへもってきて、木田が尋常でなく嫉妬深い。しかも妄想癖も甚だしい。ありもせぬ妄想から、辰子の本心に疑念を抱き、自縄自縛の疑心暗鬼に陥ったりする。
 かつて親しく往来した男の友人たちは、だれも木田家に寄付かなくなった。諍いをしたわけではないが、木田の嫉妬の異常さに辟易したのだったろう。木田自身も、友人をとるか妻をとるかといった窮屈な気分へと自分を追込んでしまう性格を、いかんともしがたい。そのくせ散歩の途上にしばしば立寄る本屋の、亭主と齢に差のある若い夫人が、自分を憎からず想っていると妄想したりする。

 暮しに困って部屋を探している親友の三島を、無理やり誘うようにして、家の二階に同居させることになった。木田にとって、ただ一人残された男の友人だ。またぞろ辰子の眼つきや振舞いの些細な点が気にかかりだす。だったら無理やり同居などさせなければよろしいのに、自虐的と申そうか破滅志向と申そうか、危ない方へ危ない方へと、急き立てるように自分を運んで行ってしまう男なのである。
 ある日木田は、散歩に出たその足で膨らむ妄想のままに汽車に乗り、母が独り住む郷里へ帰ってしまう。辰子にしてみれば、夫の突然の失踪だ。木田は妻の完璧なる貞操感からなにごとも起らぬか、それとも辰子と三島との間になにごとかが起るか、視たいような視たくないような気分に苛まれている。辰子と離婚してでも、親友三島との縁を切りたくはない、などと考えたりもする。

 郷里の隣家には、幼馴染みの姉妹が住んでいて、姉かん子とはかつて幼き恋心をかよわせた仲だった。この地で映画のロケ撮影がおこなわれたことがあって、見物群衆の一人だったかん子は、二枚目俳優を憧れの眼差しでウットリ眺めていたという。その横顔その眼つきが、一瞬にして木田を興醒めさせてしまった。かん子の心には貞淑でない性格が棲んでいるというわけだ。視ただけで、胸中を空想がよぎっただけで、貫通をなしたとする病的に潔癖な貞淑観だ。そんなことで幼く牧歌的な初恋は幕を閉じた。
 今、辰子を置き去りにして帰郷してきた木田にとって、辰子を三島に譲ってしまって、かん子と「焼け棒杭に火」ではないが、縒りを戻すべきではないかと思えてくる。これまた相手のことは少しも考えない、手前勝手な妄想である。
 さぁて事のなりゆきは……。改造社版の旧全集を愛読した私の時代とはちがって、現在では河出書房版の定本全集が完備されていて、幻の若書き『悲しみの代價』も収録されてあるので、どなたにもお読みいただける。

 もし女性読者がお読みになったら、「ホント、男って幼いのよねェ」と一蹴されそうな小説だ。百パーセント純然たる愛だの貞淑だの、幻滅だの憎悪だの、本気で信じていたのだろうか。だが実人生からの収穫ではなく、観念を扱う手さばきで処理された初期横光利一作品には、ありうる世界だったのだろう。
 大正時代の前半、明治自然主義文学論の反動からか、妙に善良かつ良心的な宗教的空気が蔓延した時期があったという。真面目な青年たちに共通する愛読書が、阿部次郎『三太郎の日記』や倉田百三出家とその弟子』だった時代である。白樺派の台頭という時代でもあった。
 中山義秀の証言によれば、学生時代の横光には、熱心に教会へ通い、聖書に読み耽った時期があったという。だが洗礼を受けたとの説は眼にしない。信仰者とはならなかったものの、「愛」「善」「貞淑」「謙虚」「奉仕」などの諸観念については、律義に深く想いを致したことだろう。
 同じく中山の証言によれば、中学時代は野球のピッチャーで、柔道もやり、特技は逆立ちで、塀の上を逆立ちで歩いたという横光が、大学生となるやいっさいの授業に出席せず、薄暗い下宿に籠ってひたすら小説を書き、過度の喫煙と運動不足とから骸骨のように痩せた手をしていたという。この時期に、なにかがあった。横光利一が形成された。

 愛だの貞淑だの、疑念だの不信感だのといったところで、今読めば、心の動きと性欲による誘惑の区別が自覚されていない、観念的で図式的な建てつけの小説と批評することは容易だ。しかしいくら観念をもって捏ねくり回した心理だとはいえ、これを二十三歳の青年が書いたと聴かされれば、途方もない刻苦勉励の才能である。すでにして横光利一がいる。
 ある局面が提示される。A,B の心理的分岐が想定される。事態は B となり、B→C,D の心理的分岐が想定される。事態は D となり、D→E,F の心理的分岐が想定される。観念と直観により筋が展開しているから、F が実現するころには、AかBかの問題はすでに遠く去っている。
 新たな事態を発見することが、作者にはことのほか大事だ。発見された事態へと作者は全力で誠実に付き従ってゆく。するとまた妄想による分岐点がきて、次なる事態が模索され発見される。作者はそれにも全力で付き従ってゆく。色変りの数珠玉が連続するが、玉を貫く紐の模索は置いてけぼりのようだ。
 『悲しみの代價』のはるか前方には、すでに『機械』が見えているようだ。

 小林秀雄は有名な「『機械』論」のなかで、横光の初期代表作『日輪』を「眼の発見」と評した。とある局面まで進んだとき見えてくる視野があるというわけだ。一方を選んで次なる局面へと至ったところで、初めて見えてくる視野がまたあるというわけだ。だからこそ新たなる一方を選べるというわけだ。
 同じ文章で小林は『機械』を「倫理の書」と評した。この小説はあらかじめ想定された紐に沿って、玉を行列させたものなんぞではないと云っている。噺が進行することで見えてきた新たな視野とそこでの選択に、従順についてゆき、その先でもまたついてゆき、次つぎついていった挙句がかような噺となったと指摘している。
 新たに湧きあがってくる心理の地平に抵抗せず、従順に筆を添わせることを、どうやら「倫理」と称んだと見える。