一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

赤羽



 蜂蜜入りミルク珈琲 L サイズ。初めて味わう味。
 昔、爺さんたちが云ってたっけ。長生きはしてみるもんだって。まだそれほどの齢じゃないが、気持は推測できるようになってきた。

 ユーチューブ収録日。ディレクター氏が機材トランクを提げて、ご来訪くださった。最近お引越しなさったとのこと。十条から赤羽へ。なんだ近くじゃねえかと、思われる向きもあろう。たしかに遠くはないが、ともに由緒を訊ねれば多くの逸話が尽きぬ、伝統ある街である。
 わけてもご新居になさった赤羽は、独特の愛着を抱く住民がことのほか多い街で、ここへ居ついた人はなかなか他へは動かない。古来京浜東北線赤羽線の乗換駅で、そのため上野を発って上信越方面へ向う列車の、最初の停車駅でもあった。今は赤羽線が延長されて埼京線となったし、その他の乗入れ路線も増え、だいぶ様相が変った。
 また上越新幹線は東京発で、上野が最初の停車駅。次の停車駅は大宮だから、あいだの赤羽駅上越方面からのショートカット裏玄関という役割を果さなくなった。

 瀟洒な新装駅ビルも明るく完備して、昔の駅舎を知る私などは、久かたぶりに下車しようものなら、今日のこととて案内表示板は親切過ぎるほど完備されているから迷子になる気づかいこそないけれども、ビル内で眼を白黒させてしまう。
 東口を出ると、ロータリー型の駅前広場の向うには憶えのないビルが並ぶ。横断歩道を渡って近づいてみると、かつて打合せや待合せにいく度も利用した老舗の喫茶店が、テナントの一軒としてビル内に収まっていたりして微笑ましい気分になる。
 さらに横断歩道を渡り、つまり駅東口から対角線方向へ入ると、昔ながらの立飲み酒場の暖簾が見え、飲食店や小売店の盛んなアーケード商店街がみえる。よそ者の眼にも懐かしさを覚える地域一帯だ。

 そんな経験がン年前のこと。現在ではさらに発展を遂げ、新旧の混在バランス絶妙の街となっていることだろう。ディレクター氏は、まだまだ片づきませんでねぇと頭を掻きかき、新たなるご近所がたいそうお気に召した様子を隠さない。
 さっそくお気に入りのカフェができたそうで、始終立寄られるという。今風の有名チェーン店らしいが、もちろん私は知らない。そういう世界に私がからきし疎いことをご承知だからこそ、お土産に熱い珈琲をお持ちくださったわけだ。テイクアウト商法に長けた店だろうから、そりゃあ包装に工夫もあるのだろうけれど、カップを袋に入れて、よくぞこんなものを持って、池袋で乗換えて拙宅まで来られたものと、感心するやら呆れるやら、感謝しきりである。

 例月どおり、収録は進む。台本もノートもない。ここ数日のあいだに、台所での切れぎれ読書の合間に、思いつくまま箇条書きしたメモを頼りに思い出し思い出し、出たとこ勝負の口任せに喋る。確かアレがあったはずだがと、書架の奥からあれこれ引っぱり出してしまうから、元へ戻すのに毎回えらく往生する破目になる。

 一号機の原子炉格納容器の、土台部分の水中撮影がようやくできたらしい。さぞやご苦労多かったのだろうが、無責任素人には、まだその程度だったのかとの印象。わが国は次なる世界規模の動乱に巻込まれるべく、また一歩前進しているらしい。さぞや知恵者が甲論乙駁なされているのだろうが、無責任素人には、そんなことも解らんのかとの印象。
 そんななかで、百年前に書かれた小説がじつはどうだったのかと、今ごろ検証している自分とはなんなのだろうか。記憶力・読書速度のいちじるしい減退から、圧倒的に時間が足りないと慨嘆している自分とは、いったいなんなのだろうか。