一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

危険ゴミ

今朝のビフォーアフター

 ここは草むしりを了えても、スコップで掘り返したくない気分がある。玄関から門扉までの通路となっている飛び石を挟んで、すでに済ませた君子蘭や彼岸花の株の真向うにあたる一帯だ。穴を掘って植物生ゴミを埋めこむには及ぶまいと思われる。

 昨年の今時分だったろうか、ここへは多くの正月用品を十分乾燥させて埋めた。玄関用玉飾りから、素焼の海老だの幣だの、止め金だの紐代りの水引だの、腐らぬものを外して刻んで埋めた。ダイダイは四つに割った。絶好の発酵促進剤となってくれたことだろう。
 神棚から下げた一昨年の注連縄も、断裁して藁クズ状にして埋めた。玄関以外の出入口や水道の蛇口など、宅外から気が入る場所を封じる、裏白と藁縄でできた掛け環もすべて刻んだ。左右門柱に括りつけた松もかなり乾燥したので、長さ各十センチほどに断って枝葉もろともに埋めた。
 加えて、昔植木棚の一部だった板材が十数年も置きっぱなしに晒されて、膝小僧でバキバキ折れるほどの完全乾燥状態だったので、それも埋めた。膝小僧で折れなかった板材の残骸が、今も一枚だけ横たえてある。

 要するに大盤振舞いのごとくに、多くを地に還したのだ。藁や草由来のものは、この一年でおおむね土に還ってくれたことだろう。が、脂気の強い松だけは、表面こそ地中微生物が蝟集して真黒に変色してることだろうが、まだ原形を留めてあることだろう。
 そんな中途半端な土を、今掘り返すわけにもゆくまい。わが生ゴミ有機肥料を与える気にはなれない。必要とする場所は、まだいくらもある。

 この場所は、昨年大々的に掘ったさいに、小石や瓦片やブロック片など目立つ瓦礫類については、かなり丹念に除去した。その点でも、今掘り返す意義は薄い。
 しかも冒頭写真の左半分ほどは、早晩東京都に献上しなければならぬ土地である。必要以上に手間をかけるだけの張合いに乏しい。どうせお上のお手が入るときには、キャタピラ付きの重機がやって来て、ガラガラドシーンと一気に片づけてしまうにちがいない。私がなん日手をかけようが、重機にとっては半日仕事である。
 とにもかくにも、ガスメーターの検針に回ってきてくださるかたや、町会の回覧板を届けてくださるかたや、その他のご用向きで訪れてくださるかたがたのお足元が危うくなければ、そして藪蚊に腕や脚を喰われることさえなければ、当面よしとする。

 ところで今日は月の第一木曜日。通常であれば、不燃ゴミ・分別不可能ゴミの回収日だ。ゴールデンウィーク中も回収していただけるものか、不安だった。ともかくも先日来掘り集めては分類してきた割れ鉢とプラ鉢とを、それぞれ三十リットル袋に詰め、「キケン/割れ鉢」「不燃/プラ鉢」と書いたステッカーを貼り付けた。ステッカー無しの雑多ゴミを含めて、つごう三袋を門柱前に出しておいた。
 大型車が拙宅前を通った音にも気づかなかったが、正午近くになって、ダイソーとビッグエーへの買出しに出かけようかと表へ出てみたところ、袋三つは影も形もなく消え失せていた。回収いただけたようで、助かった。
 これはまだまだ序の口。この夏は、不燃ゴミと危険ゴミとをできる限り出したいものと念じている。