一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

七面鳥


 七面鳥が樹の上で眠ると聴いて、驚いてしまった。まったく、わが無知いかばかりかと、改めて呆れる想いを禁じえない。

 スタインベックの『赤い子馬 』Red Pony に、さような記述があった。スタインベック作品ではお馴染みの、サリーナスの町からやや離れた、丘のような山を越えた緩斜面地で牧場暮しをする一家を描いた連作短篇集だ。
 主人公ジョディ―少年はその日、久しぶりにわが家を訪れると昨日連絡があったお祖父さん(母の父親)を、山の上まで迎えに出た。サリーナスの町が遠くに一望できる。遥かな道を、お祖父さんはゆっくりやってくる。
 ジョディ―はこのお祖父さんが大好きだ。一時代も二時代も昔に、西部開拓の幌馬車隊のリーダーだった人で、今ではすっかり老いぼれた時代遅れの年寄りとなってしまってはいるが、ジョディ―にとっては英雄だ。
 「おぉジョディ―か、また背が伸びたんじゃないかね」
 「そうですよお祖父さん、馬の世話だって自分でできるんです」
 道みち近況を報告しながら、牧場への道を下ってくる。と、いまだ樹の上で休む体勢に入っていなかった七面鳥が、そこらを歩いたりしていたと描かれてある。

 迂闊にも私は、七面鳥も鶏と同じように、鳥小屋に帰るものだと思い込んでいた。山犬かピューマか狐かなにか、獣の襲撃から身を護るために、樹上に休むのだろうか。本来七面鳥とは、さような習性をもった鳥なのだろうか。
 地上をヨタヨタ歩く姿にはどことなくユーモラスな印象があって、その七面鳥が翼を羽ばたかせて樹上に翔び移るさまを、私は想像いたしかねたのである。が、実際の七面鳥は翔べるとみえる。

 ごくご近所の、わが日常買物コース途上に、また新しい四階建てのビルが新築された。その地あった木造事務所で、長年にわたって営業なさってきた不動産会社さんが、自前のビルをお建てになったらしい。まだ完成ではないが、テナント募集の貼紙が出たところをみると、自社にて使用のスペース以外は、事業所かご商売か住宅かに貸出す仕組みらしい。
 じつは建設工事たけなわの時期に、工事現場にレンズを向けてシャッターを切ったことがあった。

 今年の三月八日の投稿に使った写真である。「上を向いて」なんぞという、なんとも暢気なタイトルが付けられてある。
 資財やら道具やらを最上階へ吊り上げたり、上から吊り下したりするクレーンのアームが、あまりに上空高くにまで伸びていることに胸を衝かれて、しばし歩を停めてポカンと視あげたものだった。重ねて申すが、それが三月八日のことだ。それからわずか二か月で、四階建てのビルが完成してしまった。驚くべき速度である。

 これが現代の工法というもんらしい。地に穴を掘って鉄骨を組んだりコンクリートを流し込んだり、いわば基礎工事が進行していたころ、すでにウワモノの資材や部品は調達され、どこか知らぬところで組立てられ、ブロックパーツと成されていたらしい。
 鉄骨が上空へと組みあがっていく間にも、コンクリートの乾燥や強度増強を図っている間にも、ブロックごとのウワモノは着々と仕上ってきていたらしい。そしていざウワモノに着手となったら、どこからかふいに現れたパーツ群が図面に沿って組立てられ、あれよあれよという間に立派な建築物となってしまう。

 最近でこそ間遠になったが、道路拡幅計画にともなって拙宅へも、残地を手放す気はないかだの、残地にマンションを建てて家賃収入により余生を安定させないかだの、解体は任せてくれだのと、土地売買会社やマンション経営会社が引きも切らずに来訪された。郵便による DM 勧誘にいたっては、数えてみる気にもならぬほどだった。私はいっさいのお誘いに対して、色よいお返事を申さなかった。
 こうすればお得と勧められたところで、得をする気がない。気を遣って神経を擦り減らせて得するくらいなら、気楽に貧乏くじを引いておいたほうがましだというのが、私の基本方針である。

 かつてのバブル経済期から崩壊期、私は会社員だった。めったにできぬ珍しい体験も切ない見聞も、そりゃああった。借金してでも不動産を所有せよ、株式を買えと、熱心に奨めてくれる知友も多かった。が、私には蓄財の情熱が極端に乏しかった。張合いのない奴、覇気のない奴と、露骨に見下されたこともあった。
 だがやがてやって来たバブル崩壊期、私にとっては興味惹かれる話題ですらなかった。痛切に思った。身のほど知らずに跳び上ったりしなければ、落ちる心配もないのだと。今回の道路拡幅計画にまつわる、わが近隣の時ならぬ普請ブームについても、私は同様の構えで応じている。

 決断さえいたせば、現在の工法ならあっという間にビルが建つのだろうことは、私にだって解る。が、雨漏りせぬよう修繕することに心を砕きはしても、経営者や大家になって左団扇で余生を過す気にはなれない。文豪スタインベックには申しわけないが、七面鳥は翔べぬものと、長らく思い込んで生きてきたのである。