一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

らしい


 胃が痛くて眼が醒めた。キリキリではなく、焼けただれたような騒痛だ。懐かしいような痛みである。週の半分以上がこんな眼醒めだった時分もあった。
 台所へと起きだし、冷蔵庫から牛乳パックを。冷たいままマグカップに少々注いでふた口。50 cc.くらいか。次に小鍋に普段のワンカップぶんを注ぎ、砂糖を少量差して温める。150 cc.くらいか。ホットミルクをちびりちびりと飲む。経験上これで胃痛は収まる。もうひと眠りできる。

 週末開店の「祭や」さんを覗いたら、かつて連日開店だったころご定連だったご婦人と、久かたぶりに顔を合せた。夢中だった子育ても、息子さんが二十歳になったとかで一段落。近隣の居酒屋で盛んにくつろいでおられるらしい。経験と思考とのバランスがとれた齢にさしかかったとみえ、子育ても男女噺も自信満々で、チイママをしきりと励ましていた。
 「三十からはモテるわよぉ。放っておいても、男が現れるから。チャラいんじゃなく、仕事もできて、中身のある男がねえ」
 「じゃあ私、来年からだ。頑張んなくっちゃ」
 「そうよぉ、それに向けて、せいぜい女を磨いておきなさいよぉ」

 「先生が来てるって?」
 二人目のご婦人が来店した。こちらも古くからのご定連だ。マスターことヨッシーがふいに切らした品を補充調達に隣のスーパーまでちょいの間外出したところで、ばったり会ったという。「今、先生いるよ」と報されたらしい。
 同行した相手によって私はいろいろに呼ばれるし、中にはかつて教え子だった者もあったりして、面倒臭いからだろう、当店では「先生」というあだ名の老人なのである。どなからも本気で先生なんぞとは思われちゃいない。

 二人目のご夫人は画に描いたようなキャリアウーマンで、アクセサリーや洋装小物、化粧品まで含むかどうか詳しくは存じあげないが、叩きあげの販売員だ。勤務先から出先の百貨店へと派遣される店長さんだ。以前は高島屋、今は東武というように、何年かに一度は都内での転勤があって、それに伴い酒場の縄張りも移動する。
 かつて新宿を少々ご案内したことがあったが、今じゃあ私はすっかり出不精になってしまったものの、彼女のほうは新宿末広亭ゴールデン街の酒場数軒を行きつけとしているらしい。
 小器用で呑込みが早いが、生意気で責任を他人に押しつける部下の噺。素直で気立てはよろしいが責任感がない部下の噺。採用面接や店長会議で思うような新人を回してもらえない噺。店長にも悩みってあるんですかぁと部下から訊かれて、思わずキレそうになった噺などなど。出てくるわ出てくるわ、齢を経た者ならだれしもが思い当る、典型的な中間管理職の悩みだ。日ごろ私が「下士官の板挟み」「軍曹の苦労」と称んでいるものである。

 まさに人生まっさかりで日々闘いを繰広げておられるご婦人お二人に、老残兵から申しあげる言葉などありえようはずもない。
 「駅前にも、魚政の先にも、お不動さんが祀られてあるでしょう。光背に炎がめらめら燃えてて、怖い顔して眼を剥いてる人。ありゃ闘いの神さまですから、お詣りしたらいいですよ。阿弥陀さまにおすがりして西方浄土を願うのは、もう少し先へいってからですねぇ」
 この老人はまたなにを云い出すのかと、老人のトンチンカンにお二人は怪訝顔だった。

 ありし日の「祭や」が束の間再現された。久びさに痛飲した。友人連れなど複数のご来店が数組あって、店内忙しくなってきたようなので、失礼した。
 ビッグエーに寄って、6Pチーズと白ソースの素と、のど飴と納豆を買ったあたりまでは記憶が確かなのだが……。いやそれ以後も、自分なりに判断して行動したはずではあるが、今朝起床してみると、記憶が曖昧だ。


 「祭や」では肴も口にせず、いも焼酎の水割りばかり飲んだ。キープボトルの焼酎を自分で割るから、どうしたって濃くなる。店を出て気づけば、えらく空腹だ。帰宅して台所ができる酒量でもなかろう。「博多屋」さんへ入ったらしい。
 今朝デジカメを点検すると、串カツが写っている。かつては必ずといってよいほど注文したものの、最近はとんとご無沙汰になっていたメニューだ。それとマカロニサラダらしい。うっすら思い出した。とにかく空腹を満たさねばと、考えたようだ。入店早々に羽根つき餃子を注文した記憶が蘇ったが、撮影はしなかったようだ。

 デジカメには妙な写真が残されてある。往来に向けて貼出された従業員の募集広告だ。働かせてもらいたくて、時給などの条件を記録したわけではない。はっきり思い出した。「髪色・髭・ネイル・ピアス等自由」これにたいそう感じ入ったのだった。なるほど現代にあっては、ことに若者のアルバイト募集にあっては、かような条件明示も必要になるか。間口を狭めぬために。また問合せに対応する手間を省くために。
 ついさっき、キャリアウーマンさんから若者の素性や個性を見分け、活かすことの難しさを教えられたばかりだった。

 往来へ向けた募集の貼紙なんぞに、なぜ注目したもんだろうか。これは簡単だ。すぐ脇が、屋外喫煙スペースだからだ。そこが私に馴染みの場所だからだ。
 居酒屋の店頭で、調味料の大缶に吸殻を投げ入れ、なんの酔狂かデジカメを構える老人の奇怪さを、道行く人はいかに眺めたことだろうか。

 さて今朝起きて、買物をどこかに忘れて来やしなかったろうかと、少々不安があった。飽くまでも「少々」である。酔っぱらいというものは、正体を失っているのでは必ずしもない。ひと場面ひと場面では、習慣に則って酔っぱらいなりに筋の通った判断をしている。ただその一連の行動を、翌朝記憶してないだけだ。はて、勘定を払った記憶がさっぱりないがと財布を開けてみると、たいていはレシートが入っているもんだ。
 冷蔵庫の扉を開けると、6Pチーズも納豆も収まっている。白ソースの素とのど飴の袋は、ショルダーバッグに残っていた。冷蔵の必要なしと、区別したらしい。バッグの底からは、折りたたまれた帽子も出てきた。そうだ、帽子を被って外出したのだったと、思い出した。