一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

アッティカ事情


 雨あがる。風もない。作業日和だ。

 はかどった感が目立つ大どころに着手したい気も起るが、長年懸案だった“小どころ”作業を片づけることにする。極限を超える窮屈な思いをさせてきた君子蘭の大鉢ふたつを抜取って、地植えにしてやる作業だ。“小どころ”とはいえ、一日作業ぶんの手間は十分にかかるはずだ。

 移転先は大鉢のすぐ脇とした。かつての用途をすでに思い出せぬ棚の残骸を、まず撤去。解体は後日として、ほかの棚残骸に寄せておく。
 草を引いて、穴を掘る。地中からは、ドクダミやシダ類や名を知らぬ蔓草類の古根がこれでもかと出る。本日の草むしりは地上部よりも、絡みあった根の塊だ。植替え後の用土不足が懸念される。穴には発酵しかかった生ゴミを仕込んだ。バナナの皮、カボチャの種とナスのへた、人参とじゃが芋の剥き皮などだ。

 大鉢ふたつから君子蘭を抜出すのがひと仕事だ。長年の放置により親バルブは大型化し、子芋のような脇バルブをたくさん着けている。根は過密状態で鉢内に渦巻いているに相違なく、わずかの酸素を求めて鉢にへばり着いていることだろう。
 片方の鉢の側面三分の一ほどが破損していて、ここから根だか子バルブだかがかつてこぼれて、飛び石を超えた向うに移民新天地を拓いた。そちらがイオニアで、こちらの鉢がアッティカである。
 園芸用の長尺ナイフを鉢の内側に沿わせて、一周させる。ブツリブツリとこもった音がして、ナマ物が切られ剥れてゆく手応えがある。悪戦苦闘して、ふた株とも鉢から取出した。案の定、鉢内は用土というよりも、根の塊だ。質の悪そうな古根を思いきり払い取る。が、わずかでも環境の持続を感じさせてやるために、残す根に付着した用土はできるだけそのままにしなければならない。

 バルブと根の密集を、それぞれ三分もしくは四分してやる。傷んだり元気のない葉は間引いてやる。それぞれが身軽になったとはいえ、思った以上の株数になった。増えすぎだ。ふた株ほどを、対岸のイオニア族の脇へと植替えてやった。いわば第二次植民だ。
 先祖は同じでも長らく別の地あって、別の陽当り別の風向きで生きてきた同士だ。いわばドーリア系とイオニア系とが隣接することになったわけだ。ミレトスの街とハリカルナッソスの街とが、小さな湾をはさんで対岸に位置するようなもんだ。かような接線上から、ヘロドトスという男は出てきた。

 さて穴を掘った土の山から、瓦礫や根の切れ端を篩い分け、いくらかましな土を埋め戻してやる。懸念したとおり、土の量はだいぶ減ってしまった。スコップに二杯ほど、他から土を補充した。
 如雨露でたっぷり水を差す。昨日雨天とはいっても、掘起してまごまごしているうちに、土粒中の液相部分なんぞは飛んでしまったにちがいないから、植替え後のたっぷり水差しは必須だ。
 彼らにとっては驚天動地の環境激変だ。しばらくは命をつなぎ身をしっかりさせるに精一杯で、花芽を着けることはあるまい。当方には好都合だ。べつに園芸愛好家ではない。花を期待してはいない。緑でいてくれればよろしい。いわば観葉植物として眺めているに過ぎない。なまじ生命の危機など感じて、彼らに花の準備を急がれると、かえって迷惑ですらある。

 日に三十分作業、できれば正味十五分作業が理想だが、一時間半近くかかってしまった。しかも適度に歩き回る草むしりとは異なって、ほどんどがその場にしゃがみこんでの作業だった。明日はきっと筋肉痛だ。