一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

素人でも

 今日は、おおむね寝ていた。ときおり眼が醒めてみると、外は雨で、雷すら遠鳴りしている。で、また眠ってしまった。なので思い出すのはすべて昨日のことだ。

 宅急便到着まで起きていようと決断して朝を迎えたものの、まだ配送到着までには時間がある。建屋の南側つまり往来に面した一画の、雑草を引っこ抜いておこうかと思い立った。すなわち桜と花梨の根本一帯、万両が植わっているあたりである。
 昨年暮れだったかに、この一画には手を入れた。桜の根方や幹から吹出してくるヒコバエを伐り払い、下草を引っこ抜いておいた。だからジャングル状態にまで復してはいないものの、フキの葉とシダ類とヤブガラシとが幅を利かせている。そのおりに刈った草や枝を片隅に積んでおいたが、カラカラに乾いて、地中へ戻すには好い具合になっていた。

 例年のごとく今年も、近ぢか植木屋の親方に桜の枝詰めをお願いしようと思っている。この場所へ入っていただくわけだ。昨年は下草刈りもヒコバエ払いもしていなかったために、親方に無駄手間をおかけしてしまった。梯子に乗っていただく前に、草むしりに半日使わせてしまった。面目ありませんと、お詫び申したら、
 「いやぁ、これも仕事のうちで。アタシの仕事を奪わんでください」と笑い飛ばしてくださりはしたが、見っともない次第だった。
 で、ここだけはなんとしても一度手を入れて、素人でもできることだけはしておかなければならなかったのである。

 この一画は幸いにも、ドクダミの侵攻からは免れてある。代りにフキの群落である。嫰いうちに摘んでおけば食用になる種類か、そうでない種類かは知らない。試食してみたことはない。ともかく引っこ抜くには、ドクダミよりはずっと楽である。
 むしろ桜のヒコバエ詰めのほうに手間がかかった。老いた幹や根の、こんなかすかな凹凸部分からもと感心させられるほど、小枝や葉が芽を吹いている。命というものは、じつに必死だ。

 桜と花梨と万両の根方一帯は、小ざっぱりとした。伐り払い引っこ抜いた枝草を袋詰めする作業をも含めて、小一時間で済んでしまった。それでも朝日の昇るのは急で、作業前と後とでは、写真の光線事情がずいぶん変化した。

 宅急便は予告どおりに到着した。大北君にお礼メールを送信。ハガキやメールのやりとりばかりで、もう何年も直接会う機会が訪れない学友との交信だ。どうしたって互いの健康伺いや近況の断片が混じる。たいていは情けない慨嘆となるけれども。
 しかしものは考えようで、直接お会いする機会がないということは、幸いかもしれない。のっぴきならぬ事情で寄合うとすれば、おそらくは共通の知友の不祝儀だろうからだ。
 さて眠るかと思ったのだったが、眠気が吹飛んでいた。思い立ったが吉日と、親方に電話する。けっして急ぎません、いつでも結構ですから、樹にとってよろしい時期で、親方のご都合のよろしい時期に、拙宅へも入ってくださいとお願いした。
 ここはどうでも眠っておかねばならないと、横になってはみたものの、すぐに眼醒めて、なにかしら思い出す。トイレにも起きる。せいぜい二時間ほども昼寝したろうか。比較的急ぐ用件を思い出して、すっかり眠気が吹飛んだ。

 二十年ほど以前に、わがゼミ学生だったお若い友人が、想うところあって大学院に戻って勉強再開したという。その研究プランの基礎資料として、白樺派内部の交際事情やら、同人間の相互批評やら、それらを包む当時の空気について、逸話・こぼれ噺・後進による証言などを漁っておられるらしい。私のほうは日に日に忘却してゆく一方だとは先方もご承知だから、記憶している事柄だけでも、さっさと吐出しておけとのご用命である。
 数日前に、二十枚ほどをワード入力して、メール添付でお送りしておいた。形式不問順不同、箇条書きアリ、記述調喋り調混淆、拙速を旨とする。それでも、白樺派の立上げから武者小路実篤の人柄、あたりまでしか済んでない。

 このあと志賀直哉有島武郎・里見弴の文学についてが始まる。芥川龍之介広津和郎ほか、外部との交流の問題もある。また通称「志賀山脈」と称される、お弟子たちによる白樺派観の問題がある。
 そこでようやく文学一段落で柳宗悦の美学や民芸運動の件に移れる。美術もしくは芸術一般における「白樺的」なるものを思い出すとば口に立てる。高村光太郎岸田劉生が登場して、その問題は高田博厚の思想と生涯とにまで及ぼう。いやはや順不同形式不問にて雑談的に思い出せと云われても、始めてみるとなかなか容易でもない。
 が、自分でもこんなことを考えるのは生涯最後となることだろうし、愉しくないこともないので、続行するつもりでいるけれども。

 すっかり夜鍋となった。今夜こそ爆睡するぞと、一杯やり始めたところで、午前四時十六分、突然大揺れに揺れた。木更津あたりが震度5強。このあたりは震度3~4だったらしい。
 続けざまの余震があるようなら非常事態だろうから、しばらく様子を窺いながら、ネット情報を確認して、どうやらここはいったん眠ったほうが無難らしいと判断した。
 途中数度のトイレ眼醒めにて、雨と雷とを確認。また寝る。計十二時間後に起きてみれば、なんと、ブログを書く時間であった。