一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

なにごとも



 今日の作業場はこの一画。拙宅西寄りで、コインパーキングとの境界をなす塀ぎわだ。連日変り映えもない草むしり日記である。こんなことしか考えてない暮しなんだから、いたしかたもない。

 この一画に手を着けると、繁茂した草ぐさの下から、かつての宿敵ネズミモチの切株が姿を顕す。その強敵との悪戦苦闘については、いく度も書いた。北へと伸びた最大の太根はノコで断ったものの、足場の悪い場所なものだから掘出すに至らず、根は今も地中にある。二番目の太根は幸い東へ伸びていたから、こちらも苦闘の末に二メートルほどを掘出した。その先は建屋の下へと潜りこんでいたため、やむなく断念するしかなかった。
 長さ二メートル近い太根を掘出した跡には、長細い穴が開いた。おりしも除草後の摘草の山が頃あいに枯れ果てていたので、隙間が生じぬようにぎゅうぎゅうに詰めた。ちょうど元村君ご恵贈による夕張メロンに舌鼓を打った直後だったので、皮やらワタやら種子やらを枯草に混ぜた。発酵促進のおまじないだ。
 そこだけマウンド状に盛上ったので、ブロックを置き、漬物石を乗せた。私の目論見ではやがて平らにになるはずだった。ところがそれどころか、メロン残滓の威力は凄まじきばかりで、わずか数か月のうちにブロックは周囲の地面よりも低く地中に沈んだ。慌てて枯草を足した。そんな一連の経緯についても、いく度か書いた。
 つまりこの一画に着手すると、その切株やらブロックやら漬物石やらが顕れるのである。


 西へは塀のコンクリート土台ゆえ根を伸ばすことができず、北と東の根を断たれた切株は、次世代のヒコバエを芽吹かせる力がめっきり減退した。ひと安心だ。だが唯一残った南方向へ最後の望みを託そうとするかのように、三メートルほど南側の、建屋に沿った地点に幼木を芽吹かせた。今や草と苔ばかりの一画に唯一樹木が、私の腹ほどの背丈にまで成長している。
 腕ぢからで引っこ抜くことはできない。今日のところは剪定鋏を使って、地上部分をすべて伐りとっておいた。根っこは後日だ。このていどの若木のうちに、根ごとそっくり除去しておかぬと、先へ行ってえらいことになる。


 ところで昨日の日記で、ユキノシタは食べられる野草と聴いたが、みずから試したことはないと申して平然としていたのだったが、投稿後に反省した。わが信条からしても、また現在のわが暮し状態からしても、不自然ではないか。ゼイタクではないか。怠け者のたか括りではないかと。
 今日引っこ抜いた草山と、昨日の草山とから、比較的無疵で型の整ったものを選り分けてみた。なにごとも経験だ。洗ってみて、根切りしてみて、なにか考えてみようか。